アイルランド史における最重要人物の一人
エイモン・デ・ヴァレラ(Éamon de Valera、1882年〜1975年)は、アイルランドの歴史において最も重要な人物の一人です。革命家であり政治家、そして国家指導者として、アイルランド独立戦争(1919年〜1921年)およびその後のアイルランド内戦(1922年〜1923年)で主導的な役割を果たしました。政界を引退するまでの長い生涯で、首相(ティーショッハ)として約21年にわたり国政を率い、晩年には1959年から1973年までアイルランド大統領を2期務めています。
ニューヨーク生まれの革命家
デ・ヴァレラは1882年、アイルランド系移民の両親のもと、ニューヨーク市で生まれました。幼少期にアイルランドへ移り、現地で教育を受けた後、若くしてアイルランド共和同胞団(IRB)に加わります。1916年には、イギリスによるアイルランド支配に抗して起こったイースター蜂起(復活祭蜂起)に参加しました。この反乱は失敗に終わり、デ・ヴァレラも蜂起での役割により死刑判決を受けますが、後に終身刑へ減刑され、1917年に釈放されました。
独立戦争とアイルランド共和国大統領
釈放後、デ・ヴァレラはIRBの軍事部門であるアイルランド義勇軍の指導者の一人となりました。1917年にはシン・フェイン党党首に選出され、1919年から1922年にかけてはアイルランド共和国大統領を務めました。彼の指導の下で独立戦争は進展し、その結果として1922年にアイルランド自由国が成立することになります。
英愛条約への反対と内戦の敗北
しかし、1921年の英愛条約に対しては強硬に反対の立場を取りました。この条約により、アイルランド自由国はイギリス帝国内の自治領(ドミニオン)として成立したためです。デ・ヴァレラはこれをアイルランド共和国構想への裏切りであると考え、続く内戦では反条約派を率いて戦いました。内戦は苛烈で流血に満ちた争いとなり、最終的に彼の陣営は敗北。1923年に政府軍に拘束され、1年以上にわたり投獄されることとなりました。
フィアナ・フォイル党の創設と長期政権
出獄後の1926年、デ・ヴァレラは新たにフィアナ・フォイル党を創設します。同党は1932年の総選挙で勝利を収め、デ・ヴァレラは行政評議会議長(首相に相当する職)に就任しました。以降、1948年まで、さらに1951年〜1954年、そして1957年〜1959年にも首相を務め、半世紀近くにわたりアイルランド政治の中心的存在であり続けました。
今も評価が分かれる複雑な人物像
デ・ヴァレラは論争的な存在であり、今日のアイルランド政治においてもその評価は大きく分かれています。情熱的なアイルランド民族主義者として独立達成への揺るぎない意志を貫き、アイルランドはイギリス帝国の自治領ではなく、完全な共和国であるべきだと確信していました。その姿勢には複雑さや矛盾も見られましたが、それでもなお、彼がアイルランド史上最も重要な人物の一人であることに疑問の余地はないでしょう。