ヴィンランド――北米の「ぶどうの国」
ヴィンランド(Vinland)は、西暦1000年頃、ノース人(ヴァイキング)の探検家レイフ・エリクソンが訪れ、「野生のぶどうの土地」と名付けた北米の地域です。正確な位置は不明ですが、現在のカナダ東部、セントローレンス湾周辺であったと考えられています。
二つのサガが伝えるヴィンランドの物語
ノース人のヴィンランド渡航について最も詳しい記録は、『グリーンランド人のサガ(Grænlendinga saga)』と『赤毛のエイリークのサガ(Eiríks saga rauða)』という二つの北欧サガに見られます。ただし、両者の記述には若干の違いがあります。
『グリーンランド人のサガ』によれば、ヨーロッパ人として初めて北米大陸を目撃したのはビャルニ・ヘルヨルフソンです。985年、彼の船はグリーンランドへ向かう途中で進路を外れてしまい、カナダ東部の大西洋岸に沿って航行した後、グリーンランドへ帰還したとされます。
1000年頃、赤毛のエイリークの息子レイフ・エリクソンは35人の乗員を率い、ビャルニが目撃したという土地を求めて航海に出ました。遠征隊が最初にたどり着いたのは、氷に覆われた不毛の大地でした。レイフはこれを「ヘルランド(Helluland=平らな岩の土地)」と呼びます。さらに南へ進むと平坦な森林地帯に行き当たり、ここを「マークランド(Markland=森の土地)」と名付けました。さらに南下すると、より温暖で住みやすい地域に到達し、一行はここに拠点「レイフスブジル(Leifsbúðir=レイフの野営地)」を築くことを決めました。この地で良質な木材と野生のぶどうを見つけたことから、彼らはこの土地を「ヴィンランド(Vinland=ぶどう酒の土地)」と呼ぶようになったのです。
数年後、レイフの弟ソルヴァルズ(Thorvald)もヴィンランド遠征を率い、現地の人々との小競り合いで命を落とすまでの2年間を当地で過ごしました。翌年にはもう一人の弟ソルステインが、ソルヴァルズの遺体をグリーンランドへ持ち帰るために航海を試みましたが、暴風雨に阻まれて果たせませんでした。
ヴィンランドの豊かさについての報告に触発され、数年後にグリーンランドを訪れたアイスランドの商人ソルフィン・カルルセフニ(Thorfinn Karlsefni)は、新たな遠征隊を率いてヴィンランドへ向かいました。この一行は3年間滞在しましたが、先住民との交易はやがて戦闘へと変わり、入植者たちは諦めてグリーンランドへ引き返しました。最後のヴィンランド遠征は、エイリークの娘フレイディス(Freydis)が二人のアイスランド人商人とその船員たちと共同で率いたものです。『グリーンランド人のサガ』によれば、フレイディスはグリーンランドへ戻る前に、配下の者たちにアイスランド人船員たちを殺害させたといいます。史料が示す限り、これをもってノース人のアメリカ大陸渡航は幕を閉じることとなりました。
『赤毛のエイリークのサガ』における記述
一方、『赤毛のエイリークのサガ』では、レイフは偶然ヴィンランドを発見した人物とされ、その後の探検はすべてソルフィン・カルルセフニとその妻グズリーズ(Gudrid)の功績とされています。同サガは二つの定住地について言及しており、北の「ストロームフィヨルド(Straumfjord=流れのフィヨルド)」と、南の「ホープ(Hóp=干潟の入り江)」です。ストロームフィヨルドは探検の拠点であり、冬にはすべての入植者がここへ退避しました。ホープは夏のキャンプ地で、探検者たちはここで野生のぶどうや良質な木材を見つけました。ホープでも、またストロームフィヨルドの北方のどこかでも、ノース人は大規模な先住民の集団と遭遇します。短い交易期間の後、双方に死者を出す小競り合いが発生し、数で劣ると感じたノース人たちはグリーンランドへ帰還したのです。
考古学が裏付ける「ぶどうの国」
ノース人たちが発見した土地に付けた「ヴィンランド」という名前は、事実を反映していました。ランス・オ・メドー(L'Anse aux Meadows)での考古学的発見により、ノース人たちが南へと旅し、ぶどうが自生する地域まで足を運んでいたことが明らかになっています。ぶどう酒は北欧社会のエリート層が消費する贅沢な飲み物であり、誇示的な生活様式の一部であるとともに、権力と影響力を示す手段でもありました。
ランス・オ・メドーから最も近いぶどうの生育地は、ニューブランズウィック州の東部です。ノース人たちが「発見」したのはおそらくこの一帯だったでしょう。ここは見事な広葉樹林が広がる地域でもあり、優れた木材を伐採することができました。森林に恵まれないグリーンランドにとって、これはまさに宝でした。
北米の「ぶどうの国」の物語がヨーロッパ大陸の文献に登場するのは、ほぼ間違いなく1075年のことであり、ブレーメン大聖堂学校の校長を務めたアダム(ブレーメンのアダム)が著した『ハンブルク=ブレーメン大司教史』においてです。アダムは、デンマーク王スヴェン2世エストリズセンから聞いた話として、アイスランド、グリーンランド、その他スカンジナビア人に知られていた北大西洋の島々について言及しています。アダムはスヴェン王について次のように記しています。「王はまた、この海で見つかった多くの島のもう一つについても語った。そこのつる植物から優れたぶどう酒が造られるため、ヴィンランドと呼ばれている、と。」
なぜノース人はヴィンランドを去ったのか
では、なぜノース人たちはヴィンランドを早々に放棄したのでしょうか。第一に、距離の問題がありました。良質な広葉樹材とぶどうが得られる地域までは、グリーンランドから3,500km(約2,200マイル)以上も離れており、同じ品々を調達できるノルウェーよりもはるかに遠かったのです。さらに、新しい土地には先住民が既に暮らしており、その数はノース人をはるかに上回っていました。しかし最大の障壁は、グリーンランドの人口の少なさでした。わずか500人ほどの植民地には、故郷からこれほど遠く離れた分派植民地を開拓し、維持していくだけの人手がなかったのです。