古代の歴史

ツタンカーメン王はなぜ9歳で王になったのか?その理由と背景を解説

古代エジプト第18王朝のファラオ、ツタンカーメン王。彼がわずか9歳前後という幼さで王位に就いた最大の理由は、父であるアクエンアテン王の死去です。

父・アクエンアテンの死がすべての始まり

ツタンカーメンの父アクエンアテン(アメンホテプ4世)は、従来の多神教を否定し、太陽神アテンのみを崇拝する大胆な宗教改革を行ったことで知られる王でした。しかし紀元前1336年頃にアクエンアテンが亡くなると、直系の男子として王位継承権を持つツタンカーメンが最有力候補となり、幼いながらも次期ファラオとして擁立されることになりました。

アマルナ革命の終焉と伝統への回帰

アクエンアテンの死後、スメンクカーラーやネフェルネフェルウアトンなどが短期間統治した可能性も指摘されていますが、最終的にツタンカーメンが王位を継ぎました。即位当初の名は「トゥタンカーテン(アテンの生ける姿)」でしたが、後に「トゥタンカーメン(アモンの生ける姿)」へと改名し、旧来の神々、とりわけアモン信仰を復活させました。

幼い王を支えた側近たち

9歳の少年が単独で国家を統治することは不可能だったため、実際の政務は宰相アイや将軍ホレムヘブといった重臣たちが補佐していたと考えられています。彼らの影響のもと、アマルナ時代に破壊された神殿の修復や、首都をテーベへ戻すなどの政策が進められました。

短くも謎に満ちた生涯

ツタンカーメンはおよそ18〜19歳でこの世を去りました。治世は約10年と短かったものの、その墓がほぼ無傷の状態で1922年にハワード・カーターによって発見されたことで、今日では世界で最も有名なファラオの一人となっています。