1066年のノルマン・コンクエストでイングランドを征服したウィリアム征服王(ウィリアム1世)は、隣接するウェールズの支配にも強い関心を示しました。しかし、山岳地帯が多く、ウェールズ人の諸侯が抵抗を続けるこの土地の征服は容易ではありませんでした。ウィリアムは軍事作戦と外交交渉の両面からウェールズへの影響力拡大を図り、以下のような戦略を展開しました。
1. 軍事遠征と城塞の建設
ウィリアムはウェールズの王国に対して複数回の軍事遠征を実施し、現地の支配者たちを屈服させてノルマン人の優位を確立しようとしました。特に重要だったのが、戦略上の要所に城や要塞を築くことでした。チェスター、シュルーズベリー、ヘレフォードといった国境沿いの都市には強力な城塞が建設され、これらは以後のウェールズ侵攻の拠点として機能しました。城塞は単なる軍事基地にとどまらず、周辺地域を統治し、支配を維持するための中核となったのです。
2. 外交同盟による分割統治
武力だけに頼らず、ウィリアムは一部のウェールズ人支配者との同盟構築も進めました。彼らに称号や領地を与える代わりに忠誠と服従を引き出すことで、ノルマン支配への抵抗勢力を内部分裂・弱体化させようとしたのです。この「分割して統治せよ」の手法は、統一された指導部を持たないウェールズの政治状況につけ込む有効な手段となりました。
3. 要衝の確保
ウィリアムはウェールズ全土の同時征服よりも、国境地帯と沿岸部といった重要な領域の確保を優先しました。これにより、物資や人の移動を管理下に置き、ウェールズ側が組織的な抵抗を行う能力を制限することに成功しました。境界地域には「マーチ(辺境)」と呼ばれる特別な統治区域が設けられ、マーチ卿(辺境伯)たちが半ば独立した権限でこの地を治めることになります。
4. 経済的搾取と封建制度の導入
ノルマン人はウェールズの鉱物資源や肥沃な土地を積極的に利用しました。封建制度を導入して重い税を課し、資源を吸い上げて自らの収益源としました。また、ノルマン貴族や騎士にウェールズの土地を分与することで、彼らの利害を新しい体制に結びつけ、支配層の基盤を固めました。
5. 文化的・宗教的影響力の浸透
ウィリアムとその後継者たちは、ノルマンの習慣、言語、宗教慣行をウェールズに広めようとしました。修道院や教会などの宗教施設の建設を奨励し、カトリック教会の権威を通じて文化的影響力を及ぼそうとしたのです。これは武力による支配だけでなく、精神面からの統合を図る長期的な戦略でもありました。
結局、ウェールズは完全には征服されなかった
こうしたウィリアムの努力と、その後のノルマン人支配者たちによる度重なる遠征にもかかわらず、ウェールズ人はかなりの程度の自治を維持し、完全なノルマン支配には屈しませんでした。グウィネズやポーイス、デヒューバースといったウェールズの公国は独立を主張し続け、中世を通じてノルマン人やイングランド人に対して断続的に紛争や反乱を起こしました。
実際、ウェールズがイングランド王国に本格的に併合されるのは、ウィリアムの死から約200年後の1282年、エドワード1世が最後のウェールズ公ルウェリン・アプ・グリフィズを倒してからのことです。ウィリアム征服王のウェールズ政策は完全な成功とは言えませんでしたが、国境に築かれた城塞群と辺境統治の仕組みは、後のイングランドによるウェールズ征服への足掛かりとなったのです。