古代ギリシャ最大の衝突の一つであるペロポネソス戦争(紀元前431年〜前404年)。アテナイが宿敵スパルタの農場を焼き払い、飢餓によって降伏に追い込んだのか——この問いに対する答えは、多くの人が想像するものとは大きく異なります。
結論:史実とは逆だった
アテナイ軍がスパルタ本土に侵入して農地を大規模に破壊し、スパルタを飢えさせて屈服させたというのは史実ではありません。むしろ逆で、戦争中に繰り返し農地を蹂躙されたのはアテナイ側でした。スパルタを盟主とするペロポネソス同盟軍は、毎年夏になるとアッティカ地方に侵攻し、アテナイ周辺の麦畑やオリーブ園、果樹園を焼き払ったのです。
ペリクレスの戦略「壁と海」
当時のアテナイの指導者ペリクレスは、陸戦でスパルタの精強な重装歩兵と正面衝突することを避けました。代わりに、アテナイ市と港湾都市ピレウスを結ぶ「長い城壁」の内側へ市民を退避させ、制海権を握るアテナイ海軍によって補給と貿易を維持する持久戦を選択します。つまりアテナイの基本戦略は、「土地を荒らされても耐え抜き、海からの力で戦争を続ける」というものでした。
アテナイも沿岸部で報復を実施
とはいえ、アテナイが手をこまねいていたわけではありません。艦隊をペロポネソス半島の沿岸へ送り込み、港町や海岸沿いの集落を襲撃・略奪しました。しかし、スパルタの中心部は内陸に位置し、海軍の手が届かず、包囲や占領には至りませんでした。そのため、スパルタ本土を飢饉に追い込むことはできなかったのです。
戦争の帰結:敗れたのはアテナイ
興味深いことに、長年の消耗戦の末に敗北したのはアテナイの方でした。紀元前415年に始まったシケリア(シラクサ)遠征の大失敗、ペルシアの資金援助を得たスパルタ海軍との戦いでの苦戦が重なり、紀元前405年のアイゴスポタモイの海戦で艦隊が壊滅。翌前404年、アテナイは城壁の撤去と艦隊の引き渡しを受け入れ、ついに降伏しました。
まとめ
「アテナイがスパルタの農場を破壊して飢えさせた」という説は、実際の歴史とは逆です。農地を焼かれて苦しんだのはアテナイであり、最終的な勝者はスパルタでした。この戦争は、陸の覇者スパルタと海の覇者アテナイが互いの弱点を突き合った結果、双方が疲弊する約27年間の長期戦となったのです。