アステカは、14世紀から16世紀にかけて中央メキシコで栄えた高度な文明です。彼らがどこに住み、どのように繁栄したのかを、首都の様子や帝国の広がりとともに詳しく見ていきましょう。
アステカ文明の中心:メキシコ盆地
アステカ人(メシカ人とも呼ばれます)は、現在のメキシコの中央部、標高約2,200メートルの高地にあるメキシコ盆地(バレー・オブ・メキシコ)を中心に暮らしていました。この盆地は周囲を山々に囲まれ、湖沼地帯が広がる肥沃な土地でした。
湖上に築かれた巨大都市テノチティトラン
アステカの首都テノチティトランは、メキシコ盆地中央部に位置するテスココ湖の中の島に築かれました。1325年頃に建設されたとされ、「湖上の都市」としても知られています。
当時のテノチティトランは人口20万人以上を擁し、南北アメリカ大陸で最大の都市でした。島と本土は複数の堤防道路(カウズウェイ)で結ばれ、湖では「チナンパ」と呼ばれる浮き畑式の農耕が行われ、食料供給を支えていました。神殿ピラミッドや市場が立ち並ぶ壮麗な都市景観は、後に到来したスペイン人たちをも驚かせたと言われています。
太平洋からメキシコ湾へ:広大なアステカ帝国
アステカの勢力範囲は首都にとどまらず、太平洋岸からメキシコ湾岸まで及ぶ広大な領域をカバーしていました。その版図には、現在の以下の地域の一部が含まれていました。
- メキシコ
- グアテマラ
- ベリーズ
- エルサルバドル
- ホンジュラス
帝国は征服した周辺諸国からの貢納によって成り立っており、政治・経済・宗教のネットワークが中央メキシコ一帯に張り巡らされていました。
まとめ
アステカ人は、メキシコ盆地のテスココ湖上に建てられた巨大都市テノチティトランを拠点とし、14世紀から16世紀にかけて中央メキシコに高度な文明を築きました。しかし1521年、スペイン人のエルナン・コルテス率いる軍勢と先住民族の同盟軍によってテノチティトランは陥落し、アステカ帝国の歴史に幕を下ろしました。その跡地には現在、メキシコの首都メキシコシティが広がっています。