考古学的発見

アルプス以北に現存する最も保存状態の良い古代ローマ都市「アウグスタ・ラウリカ」の歴史

アルプス北部で最も保存状態の良いローマ都市、アウグスタ・ラウリカとは

スイス北部、現在のバーゼル近郊のライン川南岸に位置するアウグスタ・ラウリカ(Augusta Raurica)は、アルプス以北で最も保存状態の良い古代ローマ都市として知られています。この植民市は、共和政ローマ末期から帝政初期にかけて活躍した敏腕政治家ルキウス・ムナティウス・プランクスによって、紀元前44年の夏に建設されました。正確な創建年がわかっているのは、イタリア・ガエータにあるプランクス自身の墓碑銘にその記録が刻まれているためです。

創建の背景と名称の由来

プランクスが当初付けた名前はコロニア・ラウリカ(Colonia Raurica)でした。この名は、当地に暮らしていたガリア系部族ラウリ族(Rauraci)の領域に建設されたことを示しています。ラウリ族は紀元前58年、ユリウス・カエサルによってヘルウェティイ族とともにビブラクテの戦いで打ち破られた部族です。

しかし、プランクスによる最初の建設は必ずしも順調には発展しませんでした。都市が本格的に栄えるのは、紀元前15年にアウグストゥスが中央アルプス地方を征服して以降のことです。アウグストゥスはここを退役兵のための植民市として再建し、その結果、都市の正式名称はコロニア・パテルナ・ムナティア・フェリクス・アポリナリス・アウグスタ・エメリタ・ラウリカへと拡張されました。

アルプス以北に現存する最も保存状態の良い古代ローマ都市「アウグスタ・ラウリカ」の歴史

立地と都市構造

アウグスタ・ラウリカは二つの小川にはさまれた台地上に築かれ、急斜面が天然の防壁となり、ライン川平野を一望できる絶好の眺望を備えていました。上町は岩山の突端部分に、下町は川沿いの平野部に配置されるという、二層構造の都市計画が採られていました。

繁栄期:交易と経済の中心地へ

2世紀頃には、アウグスタ・ラウリカは重要な商業中心地であり、周辺ローマ属州の首府として人口約2万人を擁するまでに成長しました。ライン川の水運によって北西方面と結ばれ、陸路ではイタリア半島北部から来る街道と、ガリアからラエティア、パンノニアへと続く東西街道が交差する交通の要衝でもありました。

アルプス以北に現存する最も保存状態の良い古代ローマ都市「アウグスタ・ラウリカ」の歴史

帝国各地への主要な輸出品は燻製豚肉やベーコンであったとされ、陶器や煉瓦の生産も行われていたと考えられています。

ローマ都市としての充実したインフラ

当時の典型的なローマ都市が備えるあらゆる施設が揃っていました。円形闘技場、メインのフォルム(広場)と複数の副次的なフォルム、水道橋、神殿、浴場などの公共施設に加え、なんと約1万人を収容できるアルプス以北最大のローマ劇場まで存在していたのです。

アルプス以北に現存する最も保存状態の良い古代ローマ都市「アウグスタ・ラウリカ」の歴史

衰退の始まり:地震とゲルマン民族の襲撃

西暦250年、大地震が都市の大部分に深刻な被害をもたらしました。さらにその10年後、都市はゲルマン系部族によって破壊されます。上町の街路の発掘調査では、武器や人骨が出土しており、市街内部で実際に戦闘が行われたことがうかがえます。

大きく減少した人口は、上町の縁にある自然の岩場へ退避し、旧市街の公共建築物や民家から撤去した資材を利用して要塞化しました。しかしこれは一時的な措置にすぎず、290年頃には下町地区に新たな防御拠点の建設が始まります。

カストゥルム・ラウラケンセと軍団の駐屯

この新しい防御集落はカストゥルム・ラウラケンセ(Castrum Rauracense)として知られ、その任務はライン川に架かる橋を守ることにありました。第1マルティア軍団(Legio I Martia)のローマ軍部隊は、5世紀前半までここに駐屯し続けたとされています。

アルプス以北に現存する最も保存状態の良い古代ローマ都市「アウグスタ・ラウリカ」の歴史

中世への移行とバーゼルへの役割交代

7世紀以降、フランク人が支配層となった中世の町は次第に重要性を失い、近隣のバーゼルにその地位を譲っていきました。バーゼルの建築物には、アウグスタ・ラウリカの建造物から持ち去られた資材が使われたといわれています。

こうして、かつての植民市は現在のアウグスト(Augst)という町へ、軍事要塞はカイザーアウグスト(Kaiseraugst)という町へと受け継がれていきました。

発掘調査と考古学公園としての今日

これまでの発掘調査により、円形闘技場、劇場、水道橋、ユピテル神殿とバシリカを備えたメインのフォルム、酒場、パン工房、陶器工房など、数多くのローマ時代の建造物が姿を現しています。

アルプス以北に現存する最も保存状態の良い古代ローマ都市「アウグスタ・ラウリカ」の歴史

しかし、発掘が完了しているのは古代都市全体のわずか20%にとどまります。アウグストとカイザーアウグストの両地には常設の考古学調査チームが配属され、一年を通じて調査が続けられています。

後世に改変されることなく残されたアウグスタ・ラウリカは、アルプス以北で最も保存状態の良いローマ都市です。現在では大規模な考古学公園として整備され、博物館のほか、ローマ時代の住居の復元模型、さらには歴史再現イベントなども開催されており、古代ローマの暮らしを肌で感じられる貴重な場所となっています。