考古学的発見

夢の女神マムを祀った神殿の巨大な扉と古代都市イムグル・エンリルのアッシリア宮殿

バラワットで発見された古代都市イムグル・エンリル

1878年、イラク人考古学者ホルムズド・ラッサムは、モスルの南東約25キロメートルに位置するバラワット村の近郊で、古代都市の遺構を発見しました。この遺跡こそ、「エンリルは我らを恵み給う」を意味する古代都市イムグル・エンリルであり、新アッシリア王国の王アッシュールナツィルパル2世(在位:紀元前883年〜前859年)によって築かれたものです。

都市の建設はその息子シャルマネセル3世(在位:紀元前858年〜前824年)によって引き継がれ、以後およそ2世紀にわたって繁栄を続けました。しかし、新アッシリア帝国が滅亡した紀元前614年から前609年にかけて、メディア、スキタイ、バビロニアの勢力によって破壊されます。ラッサムによる発掘は1882年まで続けられましたが、その後遺跡は長く忘れ去られ、1956年にイギリス考古学研究所イラク支部のマックス・マローワンが調査を再開するまで眠り続けていました。

発掘調査の結果、一辺約800メートルの正方形をなし、総面積約64ヘクタールに及ぶ城壁都市が姿を現しました。市内には数多くの宮殿や神殿が建ち並んでいたほか、巨大な木製の扉に取り付けられていた大型の青銅製帯板(ブロンズ・バンド)も出土しています。

夢の女神マムを祀った神殿の巨大な扉と古代都市イムグル・エンリルのアッシリア宮殿

夢の女神マムに捧げられた神殿

遺跡からは、アッシュールナツィルパル2世の銘文が刻まれた大理石の板2枚も見つかりました。そこには、夢の女神マムに捧げられた青銅の扉を持つ神殿の建立について次のように記されていました。「私は、我が王宮の近くに女神マムの神殿を建てたいと願い、これを実行した」

木製の扉そのものは朽ち果てて残っていませんでしたが、考古学者たちの推定によれば、扉は高さ約6メートル、幅約2メートル(1枚あたり)にも達したといいます。青銅の帯板はその扉に釘で打ち付けられていました。1980年代後半にこの遺跡で調査を行った考古学者D.J.タッカーによれば、この扉の発見は「今日に至るまで、その規模において比類を見ない」ものだそうです。

夢の女神マムを祀った神殿の巨大な扉と古代都市イムグル・エンリルのアッシリア宮殿

青銅帯板に刻まれた浮き彫りには、シャルマネセル3世の生贄や貢ぎ物の献上、軍事遠征の場面が描かれています。中でも注目されるのは、樹木や山々といった自然や風景の要素がアッシリア美術において表現された最古の例であるという点です。

杉材の扉と青銅装飾の柱

さらに、シャルマネセルの宮殿の扉と、第三の宮殿あるいは神殿の扉に由来するとみられる、別の2組の青銅帯板も発見されました。同時代の銘文から、扉はレバノン杉材で作られ、蝶番(ちょうつがい)を使わず、石の台座の上で青銅装飾を施した巨大な松の柱を回転させることで開閉していたと考えられています。

マム神殿の扉の青銅帯板(マローワンが1956年に発見)はモスル博物館に収蔵されています。一方、それ以外の大部分(ラッサムが1878年に発見)は大英博物館に所蔵され、シャルマネセル宮殿の元の扉を再現した想定復元模型とともに見ることができます。また、浮き彫りの断片の一部はイスタンブール考古学博物館にも収められています。

夢の女神マムを祀った神殿の巨大な扉と古代都市イムグル・エンリルのアッシリア宮殿

青銅帯板が語る新アッシリア帝国の実像

シャルマネセル宮殿の各扉には、外側の面に8枚の青銅帯板が取り付けられていました。その図像の豊かなバリエーションに加え、内容を説明する銘文が併記されていたこともあり、研究者たちは新アッシリア帝国の生活や技術について、より深い理解を得ることができました。

銘文によれば、紀元前852年、シャルマネセル3世はティグリス川の源流を発見したと伝えられています。また、王の姿を造形するために石を彫る職人たちの様子も描かれています。

タッカーによれば、これらの帯板は、バビロン、ティルス、アナトリア高原にまで及ぶ活気あふれる戦役の様子を驚くほど細部まで描いており、その点で特筆すべきものだといいます。

夢の女神マムを祀った神殿の巨大な扉と古代都市イムグル・エンリルのアッシリア宮殿

扉の浮き彫りには34の要塞都市が描かれており、うち18都市が攻撃を受け、12都市が貢納を強いられ、残る4都市はアッシリアの支配下に置かれたことが示されています。

宮殿の帯板に彫られた横帯(レジスター)は、それぞれ異なる遠征を表しており、説明文が添えられています。その構成は共通しており、陣営からの出陣に始まり、戦闘、敵都市の攻略、敗者の強制移住へと進み、最後に神々への供物と勝利記念碑によって勝利を祝う、という流れになっています。

これらの場面の様式と主題は、それ以前のカルフ(ニムルド)の王宮の浮き彫りや、扉と同時代に制作されたシャルマネセルの黒色オベリスクの彫刻を彷彿とさせるものです。