2015年11月26日(木)より、エジプト・ルクソール近郊の「王家の谷」にあるツタンカーメン王の墓(KV62)で、考古学者たちによる新たなレーダー探査が実施される。その目的は、伝説的な王妃ネフェルティティが眠るとされる秘密の墓室を突き止めることだ。
ベルリン新博物館に所蔵されるネフェルティティの胸像
いよいよ始まる「探索」
イギリスの考古学者ニコラス・リーブス氏は、2015年11月26日、現在のルクソール近郊に位置する王家の谷のツタンカーメン王墓(KV62)において、高度なレーダー探査を実施する予定だ。彼が探しているのは、未知の空洞2つの存在である。そのうちの一つは、彼の仮説によれば、なんと王妃ネフェルティティ(紀元前1370年~紀元前1333年)の未盗掘の埋葬室である可能性があるという。
エジプト考古相マムドゥー・エルダマティ氏の要請を受け、HIP研究所および「Scan Pyramids」プロジェクトチームによって、11月5日と6日にツタンカーメン王墓の内壁を対象とした赤外線サーモグラフィー測定がすでに行われている。その結果は非常に有望で、特に北壁の複数の区域で奇妙な温度異常が確認されたと報告されている。紀元前1324年に亡くなった若きファラオ、ツタンカーメンが眠るこの墓の中から、伝説の王妃ネフェルティティが見出されるのかどうか――その答えが出るには、もう少し時間が必要だろう。
そもそも私たちは今日まで、アクエンアテン(アメンホテプ4世、紀元前1350年~紀元前1333年)――ツタンカーメンの父にして、エジプト史上初の一神教を敷いた支配者――の正妃の最期について、何を知っているのだろうか。「美しき人が来たりぬ」(ネフェルティティの別名)は、果たして本当に王家の谷のこの墓に埋葬されたのか。それとも、一部の専門家が考えるように、彼女のミイラはすでに発見済みなのだろうか。
アクエンアテンとネフェルティティは疫病の犠牲者だったのか?
一点だけ確かなことがある。この名高い王妃の運命は、第18王朝のファラオである夫の波乱に満ちた歴史と、不可分に結びついているということだ。宗教改革のさなか、アクエンアテンは古代エジプトの古い神々の姿を、唯一の太陽円盤「アテン」へと置き換え、都を中エジプトのテル・エル・アマルナへ移した。「アテンの地平」と呼ばれたこの都で、彼は家族とともに眠ることを誓った。こうしてアマルナ平原の縁にある山肌に向けて、地下墓や王墓群の掘削が始まったのである。
ところが、アクエンアテンは在位17年目に世を去り、母ティイ、娘たちが相次いで亡くなり……ついにはネフェルティティ自身もこの世を去った。
パリ・ソルボンヌ大学のエジプト学者ピエール・タレ氏はこう説明する。「テル・エル・アマルナの第30号墓は、本来アクエンアテンのために造られました。しかしその後、9歳で夭折した末娘マケトアトン、続いて幼くして亡くなったネフェルウレとセテペンレーの二人の子どもたち、そして最後に第四王女ネフェルネフェルアテン(通称『若き方』)のために改修されたのです」。これら相次ぐ死は、当時この地方を猛威を振るった疫病(ペスト)の流行によって説明されており、アクエンアテンもネフェルティティも、その犠牲になったと考えられている……。
こうして王家の大多数がテル・エル・アマルナの地で生涯を終えたことは確実視されており、ネフェルティティも同じ運命を辿ったことを示す状況証拠は揃っている。だがタレ氏は「彼女の埋葬の実態は、依然として謎に包まれています」と続ける。彼女が本当に、自分に宛がわれていたアクエンアテン王墓の増築部分に埋葬されたのかどうかを裏付ける証拠は存在しないのだ。
「彼女の遺体は、王墓群の別の墓に一時的に安置されていた可能性もあります」と考古学者は語る。実際、アマルナの第28号地下墓からは棺の破片が発見されている。「そして、この区域から出土したシャブティ(訳注:死者に仕えるための副葬小像)の足部――『偉大なる王后、ネフェルネフェルアテン・ネフェルティティ、永遠なれ』との銘を持つもの――が私たちの手元に届いたとしても、決しておかしくありません」とタレ氏は言う。「この彫像片こそ、都市境界の石碑が示す通り、ネフェルティティが確かにアマルナに埋葬されたことを裏付ける、唯一の具体的な物証なのです」。
遺体はアマルナに残ったのか、それとも改葬されたのか
では、ネフェルティティの遺体はアマルナにとどまっていたのか。それとも、ティイやアクエンアテンの遺体と同じように、政治的事情によってテーベへ移送されたのだろうか。実際、ツタンカーメンの治世中に、王家の成員の遺体を「王家の谷」の隠匿場所へ改葬するよう命じられたことは、広く認められている。もしそうであれば、それはニコラス・リーブス氏をはじめとするエジプト学者たちの仮説――すなわち、彼女の墓は今なお発見されていない――を裏付けることになる!
ただし多くのエジプト学者にとって、ツタンカーメン王墓の隠し部屋から発見されうるミイラは、必ずしもネフェルティティとは限らない。候補としては、アンクヘプルウラーという名で即位した女王であった可能性もあるアクエンアテンの長女メリトアトン、あるいは「高貴なる御方」と称されたもう一人の妃キヤなどが挙げられる。
エジプト考古相の言葉を借りれば「世紀の発見」となりうるこの調査の行方は、いまだ一切の予断を許さない!
補足資料
*テル・エル・アマルナで見つかった、ネフェルティティの称号を刻んだウシェブティの断片は、1931年~1932年のイギリスによる発掘の際、作業員によって持ち去られた可能性が指摘されている。1933年にはアクエンアテンゆかりの品々とともに美術市場で転売された。この遺物は現在、ニューヨーク近郊のブルックリン博物館に展示されている。なお、問題のウシェブティのもう一つの断片は、ルーヴル美術館に収蔵されている可能性がある……。
*さらに詳しく知りたい読者には、クリスチャン・ルブラン著『Reines du Nil(ナイルの女王たち)』(Bibliothèque des Introuvables、2009年)、およびピエール・タレ著『Twelve queens of Egypt who changed history(歴史を変えたエジプト十二人の女王)』(Pygmalion刊)をおすすめしたい。