考古学的発見

ラスコー洞窟発見者、最後の生存者サイモン・コエンカスさんが死去

世界遺産にも登録された壁画芸術の傑作、ラスコー洞窟。1940年にその存在を世に知らしめた4人の少年のうち、最後の生存者であったサイモン・コエンカスさんが、2020年2月2日(日)、パリで亡くなった。93歳だった。

ラスコー洞窟発見者、最後の生存者サイモン・コエンカスさんが死去

写真:2016年11月18日、パリにて。1940年にラスコー洞窟を発見した4人の少年の一人、サイモン・コエンカスさん

ラスコー洞窟最後の「発見者」の逝去を受けて、本記事では『Sciences et Avenir』誌の敏腕記者ベルナデット・アルノーによる記事「ラスコー、聖なる丘」(同誌838号初出)を改めてご紹介したい。

コエンカスさんは2016年末、当時のフランソワ・オランド大統領とともに、ラスコー洞窟の完全再現施設「国際壁画芸術センター」――通称「ラスコー4」――の開館式典に出席するため、ドルドーニュ地方を訪れていた。10代の頃、彼は有名なドルドーニュの洞窟を発見した4人の若者グループの一員だった。ラスコーの専門家で、コエンカス氏と親交の深かった歴史学者ティエリ・フェリックス氏がAFP通信に語ったところによると、パリに暮らしていたコエンカスさんは2020年2月2日(日)、同地で息を引き取った。訃報はご遺族から伝えられたという。

ラスコー――「先史時代のシスティーナ礼拝堂」

1940年9月12日、当時13歳のコエンカスさんは、15〜18歳の友人3人――マルセル・ラヴィダ、ジョルジュ・アニエル、ジャック・マルサル――とともに、モンティニャック村(ドルドーニュ県)を見下ろす木々に覆われた丘で「穴」を探索し、ラスコー洞窟を発見した。その「穴」は、約1万8000年前に描かれた装飾洞窟であることが判明。1979年にはユネスコ世界遺産に登録され、「先史時代のシスティーナ礼システィーナ礼拝堂」と称される傑作となったのである。

発見のきっかけを作ったのは、マルセル・ラヴィダの愛犬だった。「ロボ」という名のその犬は、ラスコーの丘にある深い穴の前で立ち止まり、動こうとしなかったという。ラヴィダは4日後に再びこの地を訪れ、穴の探索を試みた。そこへ同行したのが、地元の3人の少年たちだった。

「僕らの小さなグループは、近くの古城の地下通路を探していたんだ。宝物が見つかるかもしれないと期待してね。実際に宝物は見つかったけど、思い描いていたものとは違うものだったよ」。コエンカスさんは2016年末、AFPのインタビューでこう回想している。手製のカンテラの灯りを頼りに少しずつ奥へ進むと、「途中で『雄牛の間』に行き当たった」という。「まるで奇跡だよ。こんなに広くて、こんなに圧倒的な……。僕らは怖気づいたくらいだ。こんなものを発見してしまうなんて、あり得ないって思ったんだ!」

4人は当初、この発見を秘密にすることに決めていたが、「結局、みんな話してしまった」。考古学好きの地元の教師は最初こそ懐疑的だったものの、実際に洞窟を目にすると「すっかり驚嘆してしまった」という。こうして考古学界に知られることとなり、コレージュ・ド・フランス教授で著名な先史学者アンリ・ブレイユ神父が9月21日に洞窟を視察した。

ラスコー発見の記念に、国際壁画芸術センターを訪れて

  • ラスコー洞窟発見者、最後の生存者サイモン・コエンカスさんが死去
  • ラスコー洞窟発見者、最後の生存者サイモン・コエンカスさんが死去
  • ラスコー洞窟発見者、最後の生存者サイモン・コエンカスさんが死去

モンティニャックの友人たち

他の3人の「発見者」については、ジャック・マルサルが1989年に、マルセル・ラヴィダが1995年に、そしてジョルジュ・アニエルが2012年にそれぞれこの世を去っている。アニエル、コエンカス、ラヴィダの3名は1991年、国家功労勲章シュヴァリエ章を受章していた。

サイモン・コエンカスさんの両親は、パリに定住していたギリシャ系ユダヤ人だった。彼自身は1940年当時モンティニャックに住んでいたが、発見の直後に同地を離れている。両親は強制移送の果てに命を落とし、コエンカスさん自身も一時ドランシー収容所に収容されたものの、辛うじて同じ運命から逃れることができた。戦後は結婚して3人の子どもに恵まれ、金属くず商として人生を歩んだ。

上の動画は、2019年に『Sciences et Avenir』主催・イヴ・コッパン氏協賛の第1回「Voyage du Savoir(知の旅)」で開催中のラスコー4にて撮影された、ヴァランティーヌ・ドラットルによるレポート。

ラスコーに情熱を注ぐ教員・研究者のティエリ・フェリックス氏は、1986年、1940年以来一度も顔を揃えることがなかった4人の「少年たち」をモンティニャックに集めた。以降、彼はこの4人組、とりわけラスコーへ「何度も」足を運んでいたサイモン・コエンカスさんと「親密な関係」を保ち続けた。「ラスコー4」の館長アンドレ・バルデ氏は日曜日、コエンカスさんの逝去を受けて「非常に心を動かされている」と語った。2016年、コエンカスさんが完全再現施設に入場した際の様子を、バルデ氏はこう振り返る。「湿度や匂い、明暗の演出までも含めて、彼の目は輝いていました。『俺はここにいるんだ!』と叫んでいたんです。あの感動、子ども時代、少年期の世界をもう一度見つけたかのように。誰にとっても強烈な感動の瞬間でした」と、同氏はAFPに語った。

一方、観光客の急増によってカビや緑藻が繁殖し、脅威にさらされてきたオリジナルのラスコー洞窟は、1963年以来一般公開が中止されている。2019年には「ラスコー4」が、開館から3年足らずで来場者数100万人の大台を突破した。フレスコ画の約8割を収めた最初の複製施設「ラスコー2」は、1983年の公開以来、年間20万人以上が訪れる人気スポットとなっている。さらに、洞窟の一部を再現した巡回展「ラスコー3」は2012年以来世界各国を巡り、これまでに累計200万人以上が鑑賞している。