考古学的発見

イギリス・ポックリントンで発見された驚異のケルト戦車と青銅の盾

約2200年前の埋葬から、考古学者たちが鉄器時代の戦車と盾を見事な状態で発掘しました。この発見は、近年数十年間におけるイギリスで最も重要な考古学的成果の一つとされています。

イギリス・ポックリントンで発見された驚異のケルト戦車と青銅の盾

ヨークシャーで見つかったこの鉄器時代の盾は、保存状態が極めて良好で、「ミレニアムの変わり目におけるイギリス・ケルト美術の最も重要な発見」と称賛されています。

イギリスでは近年、海峡を挟んだフランスの選挙結果だけでなく、もう一つの出来事が大きな話題となりました。それが、驚異的な保存状態で発見されたケルトの戦車と青銅の盾です。考古学者たちはこの発見を、イングランドにおける「世紀の発見」とまで呼んでいます。両者は、イングランド東部ヨークシャーのポックリントンにあるケルト墓地群の中心部に位置する「戦車墓」から出土しました。2018年7月に行われた事前調査発掘によるもので、その成果がようやく公表されたのです。

直径75cmの壮麗な盾を納めた葬送用戦車

戦車は、現在では失われた木製の大型埋葬室に納められていました。この部屋は、轅(ながえ)=馬をつないだ棒部品を備えたままの二輪戦車を収めるために設けられたものとみられます。埋葬されていたのは40代ほどの男性で、体を折り曲げた姿勢で衣服を身につけ、青銅製のフィブラ(ブローチ)を2つ着けていました。「豚肉の供物が副葬され、さらに宴会用具である肉用のフォークも添えられていた」と、サン=ジェルマン=アン=レー国立考古学博物館でケルト・ガリア考古学コレクションを担当する主任文化財学芸員ローラン・オリヴィエ氏は、『サイエンス・エ・アヴニール』誌の取材に語っています。

イギリス・ポックリントンで発見された驚異のケルト戦車と青銅の盾

発見当時、ポックリントンの戦車からケルトの盾が取り出される様子。© MAP Archaeological Practice Ltd

何より注目すべきは、葬送用戦車に収められていた直径75cmの壮麗な盾です。これはヨーロッパ・ケルト美術の傑作と評価されています。「その中央部(ウンボ)はアーモンド形の青銅板に収められ、三脚巴文(トリスケル)が組み合わさった網目状の装飾で覆われている」とオリヴィエ氏は付け加えます。「この盾の意匠の精緻さと様式は、ワンズワースの盾」(1849年にテムズ川から引き上げられ、ロンドンの大英博物館が所蔵)「や、スコットランドのトールズ・ロッホで見つかった別の作品を彷彿とさせます。これらの文様は、主に紀元前3世紀に花開いた島嶼独自の様式に由来するものなのです」

イギリス・ポックリントンで発見された驚異のケルト戦車と青銅の盾

ワンズワースのケルトの盾(紀元前2世紀)。1858年にテムズ川底から発見された。© British Museum

疾走の姿勢で殉葬された2頭の馬

しかも、これだけではありません。小型馬2頭の骨格が、戦車につながれた状態で見つかったのです。「戦車墓から、疾走する姿勢を演出して生贄にされた馬の存在が明らかになったのは、イギリスでは今回が初めてです」と研究者は続けます。今にも駆け出さんばかりのその光景は、ブルガリア北東部スヴェシュタリ近郊のスボリヤノヴォで発見されたケルト戦車墓の馬のペアを想起させます(同誌2019年6月号868号で報道)。

「死者を折り曲げた姿勢で戦車に載せて埋葬するこの形式は、アラス文化として知られる考古学的文化の特徴です。これは19世紀にイギリスで確認された遺跡の名前にちなんだもので、主に現在のヨークシャー東部に広がっていました」とオリヴィエ氏は説明します。この文化は紀元前3世紀から紀元前2世紀初頭に年代づけられ、イングランド北東部に定住したブリテンのケルト系民族パリシイ(Parisii)に帰属します。その名は、まるでパリ盆地の……パリシイ(Parisii)を直接想起させるものです。

「不思議なことに、アラス文化の戦車墓は同時期の現地の埋葬習慣とは一線を画すだけでなく、北ガリアで数多く発掘されたものを直接想起させます。つまり、きわめて類似した埋葬慣行が、紀元前3世紀において距離を隔てながら呼応し合っていたように見えるのです」。明らかにブリテンのケルト社会の支配層に属していた「ポックリントンの戦士」は、ブリテンに移住した大陸のケルト人共同体に属していたのでしょうか。ポックリントンの人骨に対する同位体分析や古代DNA研究が進めば、この興味深い謎に答えがもたらされるはずです。