14世紀半ばにヨーロッパを襲った黒死病(1346年〜1353年)は、当時の人口の40%から60%を死に至らしめたとされる。しかし、ケンブリッジ大学(イギリス)の研究チームによる最新の研究により、ペストに感染した人々のすべてが集団墓地に埋葬されたわけではなく、多くの犠牲者が通常の墓地で個別に、丁寧に埋葬されていたことが初めて明らかになった。

1348年の黒死病。ポール・ルギュール著『フランス史百図』に収録された版画
骨には痕跡が残らない
ペストは感染者を非常に短時間で死に至らしめるため、骨格には目に見える痕跡を残さない。このため、人骨分析を専門とする考古学者たちの作業は長年にわたり困難を極めてきた。研究者たちは、埋葬の時期や場所といった状況証拠、とりわけ集団墓地であるかどうかに基づいて、ペストの犠牲者を特定してきた。歴史家や考古学者の間では、犠牲者の大半が通常の墓地に個別に埋葬されたのではないかという見方が以前からあったものの、それを裏付ける証拠はついぞ現れなかった。そのため、これまでの研究は最も発見しやすい遺跡、すなわち集団墓地に焦点が当てられてきたのである。
今回、ケンブリッジ大学の研究チームは、14世紀およびそれ以降に死亡した人々の歯を分析することで、ペストの原因菌であるYersinia pestis(ペスト菌)の存在を特定することに成功した。感染した人物が敗血症を発症すると、ペスト菌は全身へと広がり、特に歯髄内の血管にも到達するという。
「ペスト感染者が敗血症を発症した場合の死亡率は非常に高いため(...)、人の歯根からY. pestisが検出されるということは、ほぼ確実にその人物がペストで死亡したことを意味します」と、2021年6月17日に学術誌『European Journal of Archaeology』に掲載された研究の著者らは説明している。
世界史上の3つのペスト・パンデミック
第1次ペスト・パンデミックは6世紀から8世紀にかけて発生した。第2次パンデミックは14世紀半ばにヨーロッパで始まり、人口の最大60%を死に至らしめた黒死病として知られる大流行がその代表格である。その後も19世紀初頭まで流行が断続的に続いた。「第3次パンデミックは、中国南部・雲南省の古い感染源が再び活性化したことに始まり、1894年には香港へと達した」と、百科事典サイトUniversalisは述べている。
集団墓地は例外的な存在だった
今回調査された埋葬は、西暦1349年から1561年にかけてのもので、中世ヨーロッパにおける第2次ペスト・パンデミック期にペストで亡くなった人々が含まれていた。「その大多数は集団墓地ではなく、通常の個人墓に埋葬されていた」と研究チームは強調している。これは、感染者が個別に、しかも細心の注意を払って埋葬されていたことを示す最初の証拠である。いかに過酷な時代であっても、死者の大多数に対して特別な配慮が払われていたことになる。
「こうした個別埋葬は、ペストが猛威を振るっていた時期であっても、人々が故人を細心の注意と配慮をもって埋葬していたことを示しています。この傾向は修道院で特に顕著で、少なくとも3名がチャプターハウス(修道院生活における重要な場所)に埋葬されていました」と、研究の共著者クレイグ・セスフォード氏はプレスリリースで述べている。研究著者らは、この成果について「中世の一般的な埋葬慣行に光を当てたものであり、例外的な集団墓地の発見ばかりが注目されがちだった従来の考古学における大きな前進だ」と評価している。実際、イングランドでは黒死病だけで100万〜400万人が死亡したとされるが、「集団墓地に埋葬されたのはおそらく数万人程度にとどまる」という。
もちろん、この発見によって、調査地域に集団墓地が存在しなかったことになるわけではない。教区の感染者が広い溝にまとめて埋葬された事例も確認されている。それでも今回の研究は、「ペストに関する我々の理解を大きく深めるものであり、過去のパンデミックという信じられないほど悲惨な時代であっても、人々は可能な限り丁寧に死者を埋葬しようとしていたことを示している」とセスフォード氏は結んでいる。