考古学的発見

グリブシュンデン号:バルト海に500年以上眠っていた北欧初のキャラベル船

北欧初のキャラベル船であるグリブシュンデン号には、デンマーク王ハンス1世の壮大な海軍への野望が込められていました。しかし1495年、爆発によってこの旗艦はスウェーデン沖で失われてしまいます。歴史の流れはおそらく変わってしまったでしょうが、考古学者たちがバルト海に埋もれた遺物を引き上げ続けるなか、この唯一無二の船が放つ魅力は今も色褪せることがありません。

グリブシュンデン号:バルト海に500年以上眠っていた北欧初のキャラベル船

バルト海の海底から水面へと姿を現したグリブシュンデン号の船首像。

1495年、スウェーデンへ向かった王の艦隊

1495年の夏、デンマーク王ハンス1世(1455~1513)は18隻の艦隊を率いてスウェーデンへ向かいました。目的地はカルマル市。そこで彼は、自らの宗主権に異を唱える摂政ステン・ストゥレとの会見を控えていました。1397年に調印されたカルマル条約によれば、デンマーク君主はスウェーデンとノルウェーをも統治し、各国が内政自治を保ちながらも共通の外交政策を決定する立場にあります。ノルウェー人はこれを受け入れたものの、スウェーデン貴族は抵抗を続けていました。ハンスは同盟の回復と権威の再建を目指して彼らのもとへ赴き、その威容で圧倒しようと、豪華絢爛な旗艦グリブシュンデン号に期待をかけたのです。

バルト海に500年以上眠っていた沈没船

1970年代、地元スポーツクラブのダイバーたちが、スウェーデン南部ロンネビー湾の水深10メートルの海底に積み重なる木材のかたまりを発見しました。特筆すべきものではないと思った彼らは、考古学機関への通報を見合わせます。ところが、ブレーキンゲ群島ストーラ・エキョン島の北にあたるバルト海のこの地点で、歴史上座礁した船はただ一隻。グリブシュンデン号(直訳すると「犬グリフィン」)、すなわちデンマーク王ハンス1世の旗艦こそがそれでした。

本格的な考古学調査が始まったのは2000年代に入ってからです。堆積物の下に大部分が埋もれた船体の確定的な特定は、2013年に年輪年代学によってなされました。2015年には追跡調査が行われ、2019年の限定的な発掘では船首像を含む決定的な遺物が引き上げられます。そして2021年5月、ルンド大学(スウェーデン)の研究者たちによる初の本格的な発掘調査が実施されたのです。

グリブシュンデン号:バルト海に500年以上眠っていた北欧初のキャラベル船

2015年に発見されたオーク材の船首像は、龍の頭を持つグリフィン(空想上の生き物)が人間を食らう怪物を表しているとみられます。重量は250kg。 © Morgan Olsson / Blekinge museum

時代を先取りした建造技術

考古学者たちは、その造りからもグリブシュンデン号が格式高い船だったことを指摘します。年輪年代学の分析によれば、船体の木材は1482~1483年の冬に伐採されたオークで、育ったのはオランダのマース川流域。つまりデンマーク君主はこの船を海外で入手した可能性が高いのです。

この仮説を裏付けるのが船の建造技法です。外板の板材を継ぎ目なく並べる「カーヴェル式」と、板材を重ね合わせる北欧伝統の「クリンカー式」を組み合わせています。このハイブリッド型の建造法はスペインやポルトガルの職人たちが実践していたもので、イベリア半島のキャラベル船が大洋を渡ることを可能にしました。より大型の船を建造できるようになり、数ヶ月間の航海に耐え、大量の貨物や重い大砲をも運べるようになったのです。全長32メートルのグリブシュンデン号は、まさに北欧における先駆的な船だったといえます。

ハンスは大きな海軍建設の野望を抱いていましたが、スウェーデンの抵抗ゆえに実現できませんでした。現在の調査を率いる水中考古学者ブレンダン・フォーリー氏は、この先進的な船に乗ってハンスはおそらくグリーンランドにも渡航したと考えています。もし1495年にグリブシュンデン号がストーラ・エキョン島沖で焼失していなければ、ハンスは帝国の建設に成功していたかもしれません。

グリブシュンデン号:バルト海に500年以上眠っていた北欧初のキャラベル船

グリブシュンデン号の復元イメージ。 © Mats Vänehem / Blekinge museum

船は燃えた!

史料には船上での爆発と火災が記録されていますが、考古学者たちはまだその痕跡を発見できていません。原因は火薬庫の偶然の引火だと考えられます。グリブシュンデン号は特殊な性格の軍艦でもありました。中世の海戦――敵船に接舷して乗り込み、乗員を排除する戦い方――に対応した装備を備えると同時に、16世紀以降に行われるようになる遠距離砲撃による敵船破壊という新戦術にも対応していたのです。

船尾と船首には要塞の櫓のような煉瓦造りの城郭構造が設けられ、接舷後の白兵戦に備えていました。一方で数十門の大砲を搭載しており、これは当時としては目新しいことでした。研究者たちは十数基以上の木製旋回砲架を引き上げていますが、砲身そのものは消失しており、これもこの沈没船の特異な点となっています。

グリブシュンデン号:バルト海に500年以上眠っていた北欧初のキャラベル船

オーク材の砲架。 © Morgan Olsson / Blekinge museum

バルト海の低塩分海水が木材を奇跡的に保存

バルト海の塩分濃度が非常に低い海水の中で、木材は破壊から守られました。通常なら木材を食い荒らすフナクイムシ(蠕虫状の軟体動物)がここでは生息できないためです。そのため、発見された船体部品や物品の多くは木製でした。板材、樽、クロスボウ、矢、巻揚機、皿、ジョッキなど。一方、鉄製品、とりわけ大砲は嫌気性細菌によって分解されてしまいました。

他の金属は無事に残りました。ランツクネヒト(傭兵)の給料に相当すると思われる貨幣の山や、ニュルンベルクの名高い武器職人が手掛けた外套に使われていたとみられる数百個の銅製リングなどです。後者はドイツ人兵士が乗船していた証拠といえます。また、砲弾の鉛もドイツ産で、その毒性ゆえに水中でも劣化せずに残りました。テニスボールほどの大きさの砲弾は、グリブシュンデン号の大砲が敵船を沈めるためではなく、人を殺傷するために作られたことを裏付けています。

グリブシュンデン号:バルト海に500年以上眠っていた北欧初のキャラベル船

鉛製の砲弾。ひび割れから、芯はおそらく鉄製だったと考えられます。 © Morgan Olsson / Blekinge museum

これまでに発掘されたのは全体のわずか1%

船が爆発したとき、ハンス王は乗船していませんでした。デンマークとノルウェーの貴族との会合に向かう途中、直前に下船していたといわれます。しかし船上には約150人がいました。乗員、兵士、そして宮廷の大半です。だからこそ考古学者たちは、2022年夏以降に予定される次回の発掘で人骨が見つかることを期待しています。

ブレンダン・フォーリー氏によれば、発見すべきものはまだまだあるといいます。これまでに明らかになったグリブシュンデン号の富は、わずか1%にすぎないのです。花や動物の意匠が繊細に施された白樺の樹皮パネルからもうかがえるように、船は念入りに装飾されていたようです。スウェーデン貴族に印象づけるため、ハンスは手段を選ばなかったのでしょう。船内の厨房からも贅沢さがうかがえます。香辛料棚から見つかった胡椒、クローブ、サフランは、王が異国の食材を好んだことを示し、樽からは全長約2メートルのチョウザメの骨も見つかり、船上で催された宴の様子を物語っています。

1495年に積まれたものが今もそこにある

発見された品々が保管されるカールスクルーナのブレーキンゲ博物館の発表の中で、ストックホルム大学の考古学者ニクラス・エリクソン氏は、グリブシュンデン号が中世末期の船の全体を調べ、その革新的な技術と船上の暮らしを分析できる、唯一無二の機会であると説明します。

「調査の結果、1495年にグリブシュンデン号に積まれたものの大部分が、今もそこに残っていることがわかりました」と彼は驚嘆をもって語ります。現存する唯一の完全な形のキャラベル船であるグリブシュンデン号は、今もなお人々を魅了してやみません。1495年当時、与えられた役割を果たせなかった船ではありましたが――その喪失はハンス王の威信を損ない、スウェーデンとの交渉と、不安定ながらもデンマークが北欧の隣国に対して持っていた権力の回復を遅らせる結果となったのです。