歴史上の人物

「カオの貴婦人」— 常識を覆したモチェ文化の女性指導者

前コロンブス期のモチェ文化に生きた「カオの貴婦人(セニョーラ・デ・カオ)」。その名は今も謎に包まれていますが、5世紀頃に生き、政治的、あるいは宗教的に重要な役割を担っていたと考えられています。彼女の発見は、当時主流だったモチェ文化における女性の地位に関する通説に大きな疑問を投げかけました。

モチェ文化とは

「カオの貴婦人」— 常識を覆したモチェ文化の女性指導者

紀元100年から700年頃にかけて栄えた前コロンブス期の文明、モチェ(モチカ)文明。最盛期にはペルー北岸沿いに約500キロメートルにわたって広がり、南はワルメイ渓谷からピウラ渓谷まで及びました。強大な勢力を誇ったモチェの人々は、綿密に計画された大都市、日干しレンガ造りの宮殿、階段状ピラミッド型の神殿を次々と築き上げました。

モチェ社会は厳格な身分制度に基づくヒエラルキーで構成されていました。頂点には政治的、おそらく宗教的でもある指導者が立ち、その下に戦士、司祭、行政官といった特権階級が続き、さらに織物職人、陶芸家、金属加工職人などの職人や建設者、そして農民や漁師が従属する形です。ペルー北岸に位置し、モチェ文化の重要な中心地であった都市は、こうした身分階級ごとの地区に区分され、それぞれの重要性が中央の行政棟からの距離によって表されていました。

モチェの人々は車輪を使わず、貨幣も文字も持たなかったものの、特に灌漑と冶金の分野では極めて高度な技術を誇っていました。銅、銀、青銅を加工して装いました。銅、銀、青銅を加工して装飾品、武器、農具を作り、効率的な灌漑システムによってトウモロコシ、インゲン豆、カボチャなどを栽培していました。さらに、建物の壁面、陶器、衣類などに自らの社会、自然環境、神話を描いた豊かな視覚文化を花開かせました。

宗教はモチェ人の生活の中核をなす存在であり、支配者や司祭たちは神殿「ワカ・デ・ラ・ルナ」で数多くの儀式を執り行いました。この名称はスペイン人入植者によるもので、文字記録を残さなかったモチェ人自身の呼称ではありません。とりわけ神アイ・アパエクを崇拝していたモチェ人が人身供犠を行っていたことは、フレスコ画や陶器の図像、そしてワカの頂上から出土した人骨によって裏付けられています。

宗教権力であれ政治権力であれ、当時広く受け入れられていた仮説は「権力は男性のもの」というものでした。ところが2006年、「カオの貴婦人」の墓の発見が、その確信を根底から揺るがすこととなったのです。

権力を握った女性

「カオの貴婦人」— 常識を覆したモチェ文化の女性指導者

2006年、ペルーの考古学者チームが、ペルー北部沿岸に位置するエル・ブルッホ遺跡(「魔術師」の意)の行政・儀式センター「ワカ・カオ・ビエホ」内で埋葬室を発見しました。墓には身長1.45メートル、20〜25歳とみられる女性のミイラが納められ、あわせて生贄とみられる少女の遺骨も見つかりました。450年頃に埋葬されたこの女性には妊娠と出産の痕跡があり、それが死因につながった可能性もあります。何より注目すべきは、その名を永遠に知ることのできない「カオの貴婦人」が、政治・軍事・宗教の権力を象徴する品々に囲まれて葬られていたという事実です。

「カオの貴婦人」— 常識を覆したモチェ文化の女性指導者

幾重もの布に包まれて埋葬されていたカオの貴婦人は、金、銀、ラピスラズリ、水晶、ターコイズで作られた18本の豪華な首飾り、金銀の鼻飾り、金メッキ銅の冠を身につけていました。宝飾品に加え、考古学者たちは権杖(セプター)などの政治権力の象徴や武器も発見しています。彼女の体には蛇、クモ、幾何学模様の刺青が施されており、これらの刺青や、墓から出土した治癒の場面を描いた陶器から、カオの貴婦人が癒し手(ヒーラー)として儀式を主宰していた可能性も示唆されています。

前コロンブス期文明の指導者とみられるこのミイラの発見は、当時の女性の地位に関する通説に衝撃を与えました。女性もまた政治・軍事・宗教の権力を握り得たことを証明したのです。この発見以降、高位の政治的・宗教的地位を示す副葬品とともに埋葬された女性のミイラが、他の墓からも相次いで見つかっています。

2017年には、科学者チームが10か月にわたる研究を経て、頭蓋骨の構造をもとにカオの貴婦人の顔をデジタル再現しました。展示開幕に際し、当時のペルー文化大臣サルバドール・デル・ソラールは、このモチェ文明の君主について次のように語っています。「カオの貴婦人の発見は、この豊かな文化における女性の力を浮き彫りにしました」

関連情報

カオの貴婦人 – Wikipedia(英語版)
ペルー、古代の若き女性支配者「カオの貴婦人」の顔を公開
モチェ文化