ケノジュアク・アシュヴァク(Kenojuak Ashevak、1927年〜2013年)は、カナダのイヌイット人アーティストです。ドローイング、版画、彫刻など幅広い技法を手がけ、とりわけ様式化された鳥のモチーフによる作品群で世界的に知られています。
幼くして父を失った少女時代
ケノジュアク・アシュヴァクは、1927年10月3日、カナダ北極諸島のバフィン島南岸にあるイキラサクのイヌイット集落で、イグルー(雪の家)の中に生まれました。父は人々から厚い信頼を寄せられていたシャーマンのウシュアクジュク、母はシラッキです。彼女の名前は、亡くなった母方の祖父から受け継がれたものであり、故人への愛情と敬意が新たな命へと託されるというイヌイットの伝統に基づいています。兄と姉が一人ずついました。
彼女が生まれ育った時代、当時「エスキモー」と呼ばれていた(現在では差別的な呼称とみなされています)イヌイットの人々の法的地位は、カナダ連邦議会で激しく論争の的となっていました。イヌイットがカナダの市民なのか、またインディアン法の適用対象に含まれるのかさえ曖昧なまま、連邦政府と州政府は互いに責任を押しつけ合っていたのです。「インディアン」としての地位を持たなかったイヌイットの人々もまた、定住の強制、移住、文化的同化といった政策の犠牲となりました。
ケノジュアクは幼いうちに父を失います。天候や狩りの好機を予見できるほどの学識ある善良な人物だった父ウシュアクジュクは、キリスト教へ改宗した人々と対立しており、1933年、彼女が6歳のとき、狩猟キャンプで敵対者の手によって殺されました。父の死後、ケノジュアクは母やきょうだいとともに母方の祖母コウィーサのもとへ身を寄せます。祖母からは、アザラシ皮の加工や防水衣類の仕立てといった、暮らしを支える伝統的な技を受け継ぎました。
アーティストとしての始まり
19歳になったケノジュアクは、母と継父タクパウニの取り計らいにより、4歳年上のイヌイットの狩人ジョニーボ・アシュヴァクとの結婚を命じられます。彼女は当初この政略めいた結婚に強く抵抗し、彼が近づくと石を投げつけたこともあったといいます。しかしやがて、その誠実さと穏やかな人柄、そして芸術への理解のある関心ゆえに、彼を心から愛するようになりました。夫妻の間には11人の子どもが生まれ、さらに5人を養子として迎えています(これはイヌイットの伝統的な慣習です)。惜しくも多くの子どもは幼くして世を去りました。夫婦は後年、数々の芸術プロジェクトで協働することになります。
1950年、村を訪れた公衆衛生看護師が住民の健康診断、とりわけ結核検診を実施しました。陽性反応が出たケノジュアクは、本人の意思に反してケベック州の病院へ送られ、1952年から1955年までの3年間を療養生活に費やすことになります。出産したばかりの子どもとも無理やり引き離され、隣近所の家庭に預けざるを得ませんでした。入院中に亡くなった我が子も少なくありません。こうした苦しい日々の中、彼女は患者に絵画を教え、暇つぶしと小遣い稼ぎの機会を作っていたハロルド・ファイファーと出会い、美術への扉を開かれるのです。
ようやく帰郷を果たしたケノジュアクは、アザラシ皮の人形や工芸品を売りながら制作を続け、やがて版画、彫刻、ドローイングへと表現の場を広げていきました。夫のジョニーボもまた芸術に挑戦しています。彼女は鉛筆(グラファイト)、色鉛筆、マーカー、時には水彩やアクリルまで自在に使いこなしました。1958年には、アザラシ皮の袋のために描いた図案をもとに、最初のエッチング作品『海藻を食べる兎』(Rabbit Eating Seaweed)が仕上げられます。翌1959年には、ケープ・ドーセットの仲間のイヌイット作家たちとともに、作家支援の拠点となる「ウェスト・バフィン・エスキモー協同組合」を共同設立しました。
「私たちの土地」へ
洗練されたデザイン感覚と唯一無二の作風によって、ケノジュアク・アシュヴァクは瞬く間に成功をつかみ、イヌイット作家の展覧会へ作品が出品されるようになりました。1963年には、カナダ国立映画庁(NFB)が制作したドキュメンタリー『エスキモーの画家:ケノジュアク』(Eskimo Artist: Kenojuak)の主人公を務めます。この作品は彼女の芸術だけでなく、家族の伝統的な暮らしにも温かい視線を注ぐものでした。映画による収入のおかげで、ジョニーボはカヌーを購入して独立した狩人となり、家族をより安定して支えられるようになりました。ジョニーボは1972年に亡くなり、ケノジュアクはエティグヤクジュア・ピーと再婚します。二人目の夫が1977年に死去すると、今度はジョアナシー・イギウと添い遂げました。
1970年には、カナダ郵便公社が彼女の1960年のエッチング『魔法にかけられたフクロウ』(The Enchanted Owl)を記念切手に採用し、この図案はイヌイット美術の象徴的存在となりました。1974年にはカナダ王立芸術アカデミーの会員に選出され、1967年にはカナダ勲章を受章しています。切手や硬貨のための多様なデザインを手がけ、とりわけ1999年に創設されたカナダ第三の準州・ヌナブト(イヌクティトゥト語で「私たちの土地」の意)の記念デザインでも大きな役割を果たしました。2004年には、オークビルのジョン・ベル礼拝堂のために、イヌイットの意匠をあしらった初めてのステンドグラスを制作しています。
ケノジュアク・アシュヴァクは2013年1月8日、ヌナブト準州ケープ・ドーセットにて、85歳の生涯を閉じました。