
(写真:Artur Klose、CCA SA 2.0ライセンス)
タデウシュ・マゾヴィエツキとは
タデウシュ・マゾヴィエツキ(Tadeusz Mazowiecki、1927年〜2013年)は、ポーランド人民共和国最後の首相であり、第三共和国初代首相を務めた政治家・ジャーナリストです。共産主義体制から民主主義への平和的な移行を実現した「円卓会議」の設計者の一人として、ポーランド近代史に大きな足跡を残しました。
若き日の活動
1927年、プウォツクに生まれたマゾヴィエツキは、ワルシャワ大学で法学を学び、在学中には大学出版協同組合の会長を務めました。1949年から1955年にかけてはカトリック系組織「パクス(PAX)」協会で活動しましたが、社会主義支持という同組織の方針に疑問を抱くようになり、後に離脱します。当時から熱心なカトリック活動家として知られていました。
反体制運動と政治的経歴
「パクス」離脱後は、カトリック系知識人の拠点である週刊誌『トィゴドニク・ポフシェフヌィ(Tygodnik Powszechny)』周辺のサークルに関わるようになりました。1957年にはワルシャワ・カトリック知識人クラブの創設メンバーの一員となり、1961年から1972年までセイム(ポーランド国会)議員を務め、「ズナク(Znak)」議員団に所属しました。
1972年から1981年には最高監査院(NIK)副院長の職にあり、民主化を訴える一方、人民共和国憲法改正への反対や、ラドムおよびウルススの労働者に対する投獄措置への抗議を行いました。1980年にはストライキ中の造船所労働者を支援し、1981年には独立自主管理労働組合「連帯」の機関誌『連帯週報(Tygodnik Solidarność)』の編集長に就任します。
戒厳令下の抑留と円卓会議
1981年12月に戒厳令が敷かれると、マゾヴィエツキは抑留され、最後のグループの一員として釈放されました。その後はレフ・ヴァウェンサの最も信頼する側近の一人となり、1989年の「円卓会議」の設計者として、体制移行への道筋をつけました。
首相就任と「太い線」演説
1989年8月24日、契約セイム(任期限定議会)での演説において、マゾヴィエツキは次のように述べました。
「私が組閣しようとしている政府は、受け継ぐ負債について責任を負いません。しかし、私たちが行動する状況には影響力を持ちます。私たちは過去に太い線を引きます。私たちが責任を負うのは、ポーランドを現在の崩壊状態から脱却させるために何を成し遂げたかについてのみです。」
この「太い線を引く」という言葉は、過去との決別と国民和解の象徴として広く知られるようになりました。首相として彼は市民的自由の拡大や複数政党制の導入など、数々の改革を推進しました。
晩年
1991年まで首相を務めた後、キリスト教民主主義系の政治家として活動を続けました。1992年には国連ボスニア・ヘルツェゴビナ特使に任命され、現地から戦争犯罪に関する報告を行いました。2010年以降はブロニスワフ・コモロフスキ大統領の顧問を務め、2013年にこの世を去りました。