歴史上の人物

アダルベロン(ランス大司教、920年頃 - 989年):カロリング朝からカペー朝への中世フランスの転換点

アダルベロンとは誰か

アダルベロン(Adalberon、920年頃 - 989年)は、中世フランス史上きわめて重要な役割を果たしたランス大司教です。彼はカロリング朝の国王ロテール(Lothaire)のもとで宰相(宮廷長官)を務めましたが、974年に国王から反逆罪を告発されるという危機に見舞われました。

無実の証明とユーグ・カペーへの恩義

この窮地において、フランス公(デューク)ユーグ・カペー(Hughes Capet)が彼の救いの手を差し伸べました。ユーグはサンリス(Senlis)の諸侯会議においてアダルベロンの無実を正式に宣言させたのです。

この恩義に報いるため、王位が空位となった際、アダルベロンはフランス公ユーグを暫定的な国王に据えることを提唱しました。そして987年、彼は王国の大貴族たち(グラン)に向けて有名な演説を行い、ユーグ・カペーの王位選出を実現させたのです。この出来事は、西フランク王国におけるカロリング朝の終焉とカペー朝の始まりを画する歴史的転換点となりました。

教会改革への野望

アダルベロンの政治的関与は、単なる王朝交代の推進にとどまりませんでした。彼自身は教会改革を強く志しており、後の教皇シルウェステル2世となる天才的な学者ジェルベール・ドーヴリヤック(Gerbert d'Aurillac、オーリヤックのジェルベール)と協力して活動しました。

オットー朝に倣った「一つの帝国」構想

両者が目指したのは、神聖ローマ皇帝オットー朝が築いた新カロリング帝国にならって、西ヨーロッパ全体を統べる「一つの帝国」の創設でした。しかし、この壮大な構想はユーグ・カペーの意に沿うものではありませんでした。

王朝樹立という現実的な選択

ユーグ・カペーは帝国構想を受け入れず、むしろ自らの息子(後のロベール2世)を共同王として戴冠させる道を選びました。これにより、フランスにカペー朝の世襲王朝が確立されることになります。アダルベロンの理想とユーグ・カペーの現実政治との対立は、中世初期フランス国家の方向性を決定づけたといえるでしょう。