歴史上の人物

ボージューのアンヌ(1461-1522):フランス王国の統一を守った摂政

ボージューのアンヌ(1461-1522):フランス王国の統一を守った摂政

ボージューのアンヌ(アンヌ・ド・ボージュー、1461年 - 1522年)は、フランス王ルイ11世と王妃シャルロット・ド・サヴォワの長女です。「フランスのアンヌ」「マダム・ラ・グランド(大夫人)」の名でも知られ、中世末期フランスにおいて最も影響力のあった女性の一人と評されています。

出自と結婚

アンヌは12歳のとき、ブルボン家のピエール・ド・ボージューと結婚しました。夫は1488年に第2代ブルボン公となり、夫妻はフランス屈指の大貴族としての地位を確立します。

弟シャルル8世の摂政に就任

1483年、父ルイ11世が死去すると、王位はわずか13歳の弟シャルル8世が継承しました。まだ幼い王に代わって国政を担ったのが、姉にあたるアンヌです。彼女は1483年から1491年まで摂政として王国の実権を握り、その運命を託されました。

王国の大諸侯たちは、女性の摂政を絶好の機会と捉え、王権の弱体化と自己の権益拡大を狙って動き出します。ところが彼らの期待に反して、アンヌは卓越した政治手腕を発揮することとなります。

狂気戦争の鎮圧と王国の統一

オルレアン公ルイ(後の国王ルイ12世)やブルターニュ公フランソワ2世ら反王権派の貴族との対立は、「狂気戦争(ギュエール・フォル、1485年 - 1488年)」と呼ばれる内乱へと発展しました。アンヌは毅然としてこれに立ち向かい、1488年のサンターバン・デュ・コルミエの戦いで反乱軍を撃破。内乱を終結させ、王権の威信を回復するとともに、王国の統一を断固として守り抜いたのです。

トゥール三部会の召集

内政面でも、アンヌは1484年にトゥールで三部会(身分制議会)を召集しました。これは王国の改革と財政再建を目的としたもので、彼女の統治が単なる権力維持にとどまらず、国家運営の改善をも目指すものであったことを示しています。

晩年と遺産

1491年には、弟シャルル8世とブルターニュ女公アンヌの政略結婚を実現させ、ブルターニュ公国のフランス併合への道を開きました。この婚姻工作の成功は、彼女の外交手腕を示す代表例といえます。

1503年に夫ピエール2世が死去すると、一人娘シュザンヌがブルボン家を相続しました。しかし1521年にシュザンヌが嗣子のないまま亡くなると、ブルボン家の広大な所領をめぐる相続問題が勃発し、王家とブルボン家の関係は緊張を迎えることになります。

アンヌ自身は1522年にこの世を去りました。娘の教育のために著した『娘への教訓』は、当時の貴族社会における女性教育の在り方を伝える貴重な文献として、今日まで読み継がれています。