
シャルル・ド・ヴァロワとは
シャルル・ド・ヴァロワ(Charles de Valois、1270年〜1325年)は、フランス王フィリップ3世(豪胆王)とアラゴン王女イサベルの三男として生まれました。ヴァロワ伯に叙せられた彼は、後にフランス王となるフィリップ6世の父であり、カペー家の直系が断絶した後、ヴァロワ朝を開く重要な存在となった人物です。
過剰な野心と領土への執着
同時代の人々から見たシャルルは、決して愚かではありませんでしたが、並程度の知性しか持ち合わせておらず、その一方で野心が強く、かなりの強欲さでも知られていました。彼は生涯を通じて公国や伯爵領を次々と集め続け、ヴァロワ伯のほかにアンジュー伯、メーヌ伯、シャルトル伯、アランソン伯、ペルシュ伯などの称号を手に入れました。
アラゴン王位という幻の栄光
1280年、教皇はシャルルを「聖座の宗主権下におけるアラゴン王」として承認しました。しかし、この名目上の王位は現実のものとはなりませんでした。1282年にシチリアの晩祷事件が勃発すると、現地の勢力や住民の抵抗によって彼は追い払われ、アラゴン遠征も失敗に終わりました。
有能な武将としての一面
シャルルの最大の長所は、優れた戦争指揮官であったことです。1297年にはフランドルでの軍事作戦を効率的に指揮し、その統率力を発揮しました。また、イタリア遠征ではシチリア王国の回復を試みるなど、生涯にわたって戦場に立つ機会が多くありました。
叶わなかった皇帝の夢
シャルルは終生、神聖ローマ皇帝の帝冠を夢見ていましたが、この望みが叶うことは二度とありませんでした。それでも彼は、直系カペー朝最後の王たち――フィリップ4世、ルイ10世、フィリップ5世、シャルル4世――の時代において、宮廷政治の中核を担う指導的な役割を果たし続けました。
死後、王朝を開いた男
1325年に死去したシャルル自身は王位に就くことはありませんでした。しかし1328年、直系カペー朝が断絶すると、息子のフィリップ6世がフランス王に即位し、ここにヴァロワ朝が開かれました。野心多き王弟の遺志は、形を変えて実現することになったのです。