
サンキュロットが生んだ革命軍の指揮官
フランソワ・アンリオ(François Hanriot、1761年 - 1794年)は、フランス革命期のパリにおいて民衆(サンキュロット)の支持を集めた革命家・軍人です。もともと貧しい出自ながら革命の激動の中で頭角を現し、パリ革命軍の最高指揮官へと昇りつめました。
王政崩壊と九月虐殺への関与
1792年8月10日のテュイルリー宮殿襲撃によってフランスの王政が崩壊すると、アンリオはこの蜂起に参加しました。さらに同年9月、囚人たちが大量に殺害された「九月虐殺」にも関与したとされています。過激な革命の推進者として、彼の名は次第にパリ民衆の間で知られていくことになります。
ジロンド派失脚を決定づけた武力
1793年にはパリの武装勢力の指揮権を握りました。アンリオ率いる部隊が国民公会を包囲する形で圧力をかけたことが、穏健派ジロンド派の失脚(1793年5月31日 - 6月2日)を決定的なものにしたのです。これは山岳派が革命の主導権を確保するうえで重要な転換点となりました。
ロベスピエールとの関係と悲劇的な最期
アンリオは急進派エベール派と親しかったため、1794年の粛清の波に巻き込まれる危険がありましたが、ロベスピエールの庇護によって難を逃れました。しかし同年7月27日(テルミドール9日)、テルミドールのクーデタによってロベスピエールが逮捕されると、アンリオは直ちに彼の救出を試みます。結局この試みは失敗し、翌28日(テルミドール10日)、アンリオはロベスピエールら同志とともに断頭台に送られ、その生涯を閉じました。