シギベルト2世(Sigebert II、601年頃 - 613年)は、フランク王国メロヴィング朝の王であり、ブルグント王テウデリク2世(ティエリー2世)の息子として生まれました。
即位とブルンヒルドの後見
613年に父テウデリク2世が死去すると、その祖母にあたるブルンヒルド(ブルネヒルダ)は、まだ幼いシギベルト2世をアウストラジアとブルグント両地域の王位に就けようとしました。老齢ながらも強大な政治力を誇ったブルンヒルドは、孫の権威を確立しようとしたのです。
貴族たちの反発
しかし、この計画には大きな障害がありました。アウストラジアの有力貴族たち、とりわけ宮宰ピピン・ド・ランデンやメス司教アルヌルフらは、幼君とその背後に立つブルンヒルドの支配を嫌い、ネウストリア王クロタール2世(クロトワール2世)に援助を求めて離反したのです。
最期
ブルンヒルドは軍を率いて抵抗を試みましたが、味方であったはずの貴族たちが次々と寝返ったため、アisn川での決戦で敗北を喫します。逃亡先で捕らえられたブルンヒルドは、クロタール2世によって処刑され、若きシギベルト2世もまた弟のメロウェクらとともに殺害されました。
こうしてシギベルト2世の死により、ブルンヒルド一派による支配は完全に終わりを迎え、クロタール2世がフランク王国全土を再び統一することとなりました。