エマニュエル・ジョゼフ・シエイエスとは

フランス王国シャルトルの副司祭(代牧)として聖職者人生を歩み始めたシエイエスですが、彼の名を不朽のものにしたのは、大革命直前に著した一冊のパンフレットでした。
『第三身分とは何か』で革命の旗手に
1789年1月に発表されたパンフレット『第三身分とは何か』の中で、シエイエスはこう問いかけ、自ら答えています。
「第三身分とは何か。——すべてである」
特権身分である聖職者と貴族に対し、国民の大多数を占める平民階級(第三身分)こそが国家の実体だと訴えたこの一冊は、革命前夜の世論に決定的な影響を与えました。
三部会から憲法制定議会へ
同年、シエイエスはパリ第三身分の代表として三部会(全国三部会)議員に選出されます。王政側の威圧で議場から締め出された議員たちが近くの球戯場で団結を誓った「球戯場の誓い」では、誓約文の起草に深く関わりました。また、ジャコバン倶楽部の共同設立者の一人でもありますが、後に同派を離れ、穏健な立憲君主制を掲げるフイヤン派へ移っています。
国民公会・総裁政府の時代
革命の進展とともに、シエイエスは憲法制定議会、続いて国民公会の議員を務め、1799年には総裁政府(ディレクトワール)の総裁の一員に就任しました。激動のテロル時代を巧みに生き抜き、常に体制の中枢にあり続けたことが彼の大きな特徴です。
ナポレオンとの提携と晩年
1799年11月、シエイエスは自ら画策したブリュメール18日のクーデターにおいて、ナポレオン・ボナパルトの権力掌握を後押ししました。クーデターの成功後、彼はロジェ・デュコとともに第二臨時執政官に就任します。しかし、第一執政官となったナポレオンが実権を固めると、シエイエスは政治の表舞台から身を引き、以後は静かな隠棲生活を送りました。1836年、パリで88年の生涯を閉じています。