歴史上の人物

ヴィルヌーヴ・ピエール・シャルル(1763年〜1806年):トラファルガーでネルソンに敗れたフランス海軍提督

ヴィルヌーヴ・ピエール・シャルル(1763年〜1806年):トラファルガーでネルソンに敗れたフランス海軍提督


ヴィルヌーヴ・ピエール・シャルル(Pierre-Charles Villeneuve、1763年1月31日 - 1806年4月22日)は、フランスの海軍士官であり、ナポレオン時代のフランス艦隊を指揮した提督である。1805年のトラファルガー海戦において、イギリスの名将ネルソン率いる艦隊と対決したことで広く知られている。


生い立ちと海軍への道

ノルマンディ地方のヴァローニュに生まれたヴィルヌーヴは、1778年にフランス海軍に入隊し、アメリカ独立戦争にも従軍した。フランス革命期には革命政府側につき、順調に階級を重ねていく。1798年のナイルの海戦(アブキール湾の海戦)ではエジプト遠征艦隊の一員として参戦し、多くの艦艇を失う中で包囲網を突破して脱出することに成功した。


トゥーロン艦隊の指揮官として

1804年に海軍中将に昇進し、地中海方面の要衝トゥーロン艦隊の指揮を任された。翌1805年には、ネルソンの追撃を巧みにかわして西インド諸島まで遠征するという大胆な作戦を実行するが、帰還後は艦隊を率いてスペインのカディス港に退き、そこで仏西連合艦隊の指揮権を握ることになった。


トラファルガー海戦での敗北と捕虜生活

1805年10月21日、カディスを出港した連合艦隊は、トラファルガー岬沖でネルソン率いるイギリス艦隊と激突した。この歴史的な海戦で連合艦隊は壊滅的な打撃を受け、ヴィルヌーヴ自身も旗艦ブサントゥール号とともに捕らえられ、イギリスへ送られた。しかし彼は紳士条約に基づく名誉釈放(パロール)の扱いを受け、まもなく解放されることとなる。


悲劇的な最期

1806年4月にフランスへ帰国したヴィルヌーヴだったが、同月22日、レンヌ市内の宿舎で胸などに複数の刺し傷を負った状態で死んでいるのが発見された。公式には自殺と断定されたが、その死には謎が多く、暗殺説も今なお根強く残っている。祖国への敗戦の責任に苦しみながら生涯を閉じた、ナポレオン戦争期を代表する悲劇の提督である。