ビザンツ帝国の歴史家プロコピウスが、同じ人物について矛盾するような二つの記述を残した背景には、いくつかの重要な要因が考えられます。ここでは、その理由を4つの観点から詳しく解説します。
1. 執筆者としての偏見(バイアス)
プロコピウスは、皇帝ユスティニアヌス1世の治世に活躍したビザンツ(東ローマ)帝国の歴史家です。彼は当初、ユスティニアヌスとその政策を熱心に支持しており、『戦史』などの初期の著作には皇帝の業績を称賛する記述が数多く見られます。
しかし後期の著作、とりわけ『秘史』では、皇帝やその政権への批判が次第に強まっていきました。この視点の変化は、ユスティニアヌスの統治に対する幻滅が深まったためと考えられますが、当時の政治情勢の変化を反映している可能性もあります。
2. 異なる情報源への依存
プロコピウスは、執筆時期によって異なる情報源に依拠していた可能性があります。例えば、初期の作品では公式な政府記録や公文書を利用していた一方、後期の作品では宮廷内部の噂話や関係者の証言といった、より私的で非公式な情報源を用いたかもしれません。
このような情報源の違いは、同じ出来事や人物に対してまったく異なる解釈をもたらすことになります。公式文書が示す「表の顔」と、内部情報が明かす「裏の顔」——両者が食い違うのは自然なことなのです。
3. 視点の変化
単純に、プロコピウス自身が対象人物についての見方を変えた可能性もあります。歴史家である彼は、時間の経過とともに新しい情報や証拠にアクセスでき、それによって自らの見解を見直したのかもしれません。
例えば、当初はユスティニアヌスの軍事的成功に感銘を受けていたものの、後にこれらの戦争がビザンツ帝国に与える負の影響——膨らむ軍事費や民衆の疲弊など——を認識するようになった可能性があります。
4. 文学的慣習と修辞技法
プロコピウスが執筆した時代には、歴史家が作品をより魅力的で説得力のあるものにするために、修辞や文学的表現を駆使することが一般的でした。このため、彼は特定の側面を誇張したり、より劇的で印象的な物語を作り上げるために意図的に異なる視点を提示したりした可能性があります。
まとめ
このように、プロコピウスによる一見矛盾する記述は、偏見・情報源の相違・視点の変化・文学的慣習という複数の要因が絡み合った結果と考えられます。『戦史』と『秘史』の対比は、歴史資料を読み解く際には、著者の立場や執筆状況、当時の社会的背景を常に考慮する必要があることを示す好例といえるでしょう。