マルクス・アントニウス(紀元前83年頃 – 紀元前30年)は、古代ローマを代表する軍人・政治家です。ユリウス・カエサルの最も信頼された部将として頭角を現し、カエサル死後のローマ政界で中心的な役割を果たしました。
カエサルの部将としての活躍
アントニウスは、カエサルがローマの最高権力者として地位を固めていた時期にその側近として仕え、主君の権威確立に大きく貢献しました。紀元前53年にはガリアで財務官(クァエストル)の職を得て、軍事的にも政治的にも経験を積んでいきます。
カエサル暗殺後の権力闘争
紀元前44年のカエサル暗殺後、アントニウスはオクタウィアヌス(後の初代皇帝アウグストゥス)およびレピドゥスとの間で激しい権力闘争を繰り広げました。一時は元老院から「公敵」に指定され、紀元前43年4月にはムティナ(現在のモデナ)の戦いでオクタウィアヌスに敗北します。しかし同年、三者の間でようやく妥協が成立し、「第二回三頭政治」が樹立されました。
フィリッピの戦いと帝国の分割統治
三頭政治のもと、アントニウスたちはカエサル暗殺者の排除に乗り出します。紀元前42年のフィリッピの戦いでブルートゥスとカシウスの軍を打ち破り、主君の復讐を果たしました。その後、三頭政治はローマ帝国を分割して統治する体制を敷き、アントニウスは富み栄える東方地域の支配を任されることになりました。
クレオパトラとの愛と東方統治
東方文化に深く魅了されていたアントニウスは、エジプトの女王クレオパトラ7世と恋に落ちます。次第にローマ本国の政治から距離を置き、ユダヤ、フェニキア、キプロスなどからなる自らの勢力圏の経営に専念するようになりました。さらにはローマの東方領土をクレオパトラのエジプトへ与えるという決断を下し、この行為はローマ国内で大きな反発と批判を招くことになります。
アクティウムの海戦と悲劇的な最期
アントニウスとクレオパトラの結びつきを自身の権力への脅威とみなしたオクタウィアヌスは、ついに武力による決着を選択します。紀元前31年、アクティウムの海戦においてアントニウスの艦隊は決定的な敗北を喫しました。アレクサンドリアへ退いたアントニウスは、そこで自ら命を絶ちます。こうしてオクタウィアヌスはエジプトの首都に入城し、ローマ帝政への道を開いたのです。

基本情報
- 生没年:紀元前83年頃 – 紀元前30年
- 身分:軍人・政治家