ザカリー・テイラーとは?
ザカリー・テイラー(Zachary Taylor、1784年11月24日 – 1850年7月9日)は、アメリカ合衆国第12代大統領です。40年以上に及ぶ軍人生活の中で「オールド・ラフ・アンド・レディ(Old Rough and Ready)」の愛称で兵士たちから親しまれ、米墨戦争での華々しい活躍によって国民的英雄となり、その圧倒的な人気を背景に大統領の座に就きました。
基本プロフィール
生年月日:1784年11月24日
出生地:バージニア州オレンジ郡
政党:ホイッグ党
主な役職:アメリカ合衆国大統領(1849年–1850年)
従軍経験:1812年戦争、ブラック・ホーク戦争、第二次セミノール戦争、米墨戦争
家族構成
父:リチャード・テイラー(独立戦争従軍者・農園主)
母:サラ・ダブニー・ストロザー・テイラー
妻:マーガレット・マッコール・スミス・テイラー
子ども:アン・マッコール・テイラー、サラ・ノックス・テイラー、リチャード・テイラー、オクタヴィア・P・テイラー、マーガレット・スミス・テイラー、メアリー・エリザベス・テイラー
生い立ちと教育
テイラーは1784年11月24日、バージニア州オレンジ郡に生まれました。父リチャード・テイラーはアメリカ独立戦争に従軍した経歴を持つ農園主でした。テイラーが幼少の頃、一家はケンタッキー州の開拓地へ移住し、彼は辺境の厳しい自然環境の中で育ちました。
正式な教育を受ける機会には恵まれず、地元の学校に通ったのはごく短い期間にとどまりました。しかしこの開拓地での暮らしは、彼の実務的で飾らない性格や、乗馬・狩猟といった野外技能を磨くことにつながりました。そして1808年、陸軍士官に任官し、軍人としての人生を歩み始めたのです。
軍人としての経歴
テイラーの軍歴は40年以上に及びました。1812年戦争では前線防衛で活躍し、その後もブラック・ホーク戦争(1832年)、第二次セミノール戦争(1835年–1842年)で指揮官として着実に名声を高めていき、1846年には少将に昇進します。
転機となったのは米墨戦争(1846年–1848年)です。テイラーはパロ・アルトの戦いとレサカ・デ・ラ・パルマの戦いでメキシコ軍を破り、さらに数的劣勢の中でブエナ・ビスタの戦いにも勝利しました。これらの戦果により一躍国民的英雄となり、後の政界進出への足がかりを築くことになります。
大統領として
軍人としての高い声望を買われたテイラーは、政治経験がほとんどないまま、1848年の大統領選挙にホイッグ党候補として出馬し、僅差で当選を果たしました。1849年3月、第12代アメリカ大統領に就任します。
しかし、その任期は困難の連続でした。当時のアメリカは奴隷制をめぐって南北に深刻に対立しており、カリフォルニアの州昇格問題などを巡る論争は、連邦分裂の危機すら招きかねない状況でした。テイラーは南部出身でありながら連邦の統一を最優先し、妥協案に対しては強硬な姿勢で臨みました。また、メキシコとの関係や、オレゴンをめぐる英国との外交問題など、対外課題にも向き合いました。
1850年7月9日、テイラーは就任からわずか約16ヶ月で病に倒れ、この世を去りました。死因は当時「コレラ」とされましたが、現代では急性胃腸炎だった可能性も指摘されています。副大統領ミラード・フィルモアが後を継ぎました。
遺したもの(レガシー)
ザカリー・テイラーは、勇敢で有能な軍指導者として、また誠実さと正直さを貫いた人物として記憶されています。派手な学歴や政治経験なしに大統領まで上り詰めたその人生は、「実直な奉仕」の象徴とも言えるでしょう。任期こそ短かったものの、国家への揺るぎない忠誠心をもって祖国に仕えた、真のアメリカの愛国者として、今日なお高く評価され続けています。