ミロのヴィーナスは、パロス島産の大理石で彫られた像で、愛と美の女神アフロディーテを表していると考えられています。ヘレニズム時代の傑作であり、ギリシャ彫刻の中でも最も有名な作品の一つです。約2000年もの忘却の時を経て、1820年、エーゲ海に浮かぶギリシャの島ミロス島の古代遺跡から、両腕を欠いた大理石像が掘り出されました。失われた腕はこの彫刻を取り巻く謎をいっそう深め、本来のポーズは再現されることなく、作者も今なお不明のままです。奇跡的とも言える発見の経緯は、彫像にとって危ういものでした。1821年にルーヴル美術館で初公開されて以来、その美しさと失われた手足とともに、世界中にその名声が轟いています。
ミロのヴィーナスの発見
ミロのヴィーナスは1820年の春、ギリシャ・キクラデス諸島のミロス島で発見されました。畑を囲む石垣を作ろうとして基礎を掘っていた農夫が、地下に洞窟のような墓室を見つけたのです。その奥底には、等身大よりも大きな女性像がありました。あらわれた胸元、足元まで届く衣を掴む右手、折り曲げて持ち上げられた左腕——まるで生きているかのような姿でした。
農夫と息子は大理石の破片を家へ運び込み、隠しました。島に立ち寄ったフランス人船員たちはこの発見の噂を耳にし、農夫父子のもとを訪れて彫像の破片に感嘆すると、急いでコンスタンティノープルへ戻り、フランス大使リヴィエール侯爵に報告します。1か月後に現地へ派遣され、「どんな代価を払ってでも」彫像を買い取るよう命じられた侯爵の秘書が目にしたのは、なんとヴィーナスの破片を引きずっていくトルコ人船員たちの姿でした。争奪戦が始まり、胴体は何とか確保されたものの、大理石には傷がつき、破片が散乱していました。フランス船員たちは破片まですべて船に積み込みましたが、片腕がすでに失われていたことには気づかなかったのです。
愛と美の女神
フランスに持ち帰られた彫像は、リヴィエール侯爵から国王ルイ18世に献上され、1821年にルーヴル美術館で公開されました。失われた腕については数多くの仮説が語られています。一方、強引な接収の経緯は外交問題に発展しかねないため、公には語られませんでした。1872年頃にギリシャ駐在大使を務めたジュール・フェリーは謎の解明を目指してキクラデス諸島への調査旅行を行い、当時の農夫の息子を突き止めます。彼は「彫像が完全な形であったのを目撃した」と証言し、フランス人が力ずくで彫像を持ち去ったこと、そしてその代償を後になって支払ったことを裏付けました。
アフロディーテ——ローマ神話ではウェヌス(ヴィーナス)——すなわちギリシャの愛の女神を表すこの像は、発見された島で祀られていた海の女神アンピトリテであるという説もあります。紀元前120年頃の制作とされる彫像は、脚部と、胴体・頭部の二つのブロックを組み合わせて構成されています。腕に残る穴からは、ブレスレットや耳飾りをつけ、髪には飾り帯を着けていたことがわかっています。
腰まで垂れるドレープをまとい、あらわれた胸に過剰な丸みを抑えた肢体——彼女は腰を揺らすようなしなやかさと自然さをもって私たちの前に立っています。柱にもたれていたのか、それとも衣を押さえていたのか。フランスの作家プロスペル・メリメは、小説『イルのヴィーナス』の中で、精緻な顔立ちと丁寧に束ねられた髪を持つ愛と美の女神にこう讃辞を捧げています。「こんな女性なら、恋人たちが気の毒だ……それでも、これほど美しいものを私は見たことがない」
ミロのヴィーナスの修復
2010年7月、高さ2メートルを超えるミロのヴィーナスは、半年に及ぶ修復作業を終えて、ルーヴル美術館内の新しい展示場所へと戻りました。19世紀に行われた型取りの際についた石膏や油の痕跡、そして年月で褐色に変色した表面は入念に洗浄されました。現在、同時期に発見された出土品に囲まれながら、200平方メートルの広大な展示室に設置され、年間600万人の来館者がゆったりとその美しさを鑑賞できるようになっています。
参考文献
- ディミトリ・サルモン『ミロのヴィーナス:ある神話』ポケット版、2000年
- 『ミロのヴィーナス』2010年
さらに詳しく知るには
- ルーヴル美術館公式サイト「ミロのヴィーナス」のページ