歴史物語

中世の人々はどうやって踊っていたのか?――民衆舞踏の起源と十字軍の意外な関係

手をつないで円になり、体を揺らしながら回る。あるいはもっと賑やかに!隣の人の肘をつかんで、ドンドンと足を踏み鳴らし、一歩右へ、二歩左へ、そして円がぐるりと回っていく。子どもたちの楽しいダンスの描写のように聞こえるかもしれないが、実はこれこそ中世の人々の踊り方だったのだ。と、ある十字軍が起こるまでは。

中世の舞踏について分かっていることは、実は非常に少ない。絵画や挿絵には踊る人々の姿が描かれているものの、肝心の動作や身振り、リズムの詳細な記録を残した者がいなかったのだ……。多くのことは推測するしかなく、民族学者の知見から一部を復元できるものの、残りは謎のまま残されている。確かなのは、結婚式、市場、祝祭などさまざまな機会に、社会のあらゆる階層の人々が踊りを楽しんでいたということだ。当初、ステップや振り付けはきわめてシンプルなものであった。

さあ、皆で踊ろう!

中世で最も人気があったのは「カロール(carole)」と呼ばれる踊りだった。大勢で輪になり、歌いながら手――あるいは肘――をつないで踊る形式である。踊り手の一人が陽気に歌詞を歌い上げ、残りのメンバーが繰り返しのサビを歌った。祝祭の機会に行われる遊戯ではカロールが主役を務めたが、その歌の内容は実に際どいものだったという。私たちはそうした無作法な歌詞を直接目にすることはできないが、中世学者ルース・A・ジョンストン(Ruth A. Johnston)がこの時代の事典でそのように記している以上、疑う理由はない。単調にならないよう、カロールには二つの踊り方があったのだ。

中世の人々はどうやって踊っていたのか?――民衆舞踏の起源と十字軍の意外な関係

貴婦人と騎士。これはエスタンピを踊っているところだろうか?

第一のスタイルは「ファランドール(farandole)」で、プロヴァンスや陽光あふれるイタリアでとりわけ人気があった「行列」型の踊りだ。踊り手たちは手をつなぎ、先頭に立つリーダーに導かれて列となって踊った。こうした宴は常に屋外、庭や町の広場で催された。記録によれば、ファランドールでは「糸通し」や「蝸牛(カタツムリ)」といったさまざまな図形(フィギュア)が演じられたという。複雑なステップを踏む余裕などなく、参加者は歩いたり跳ねたりしながら移動したのである。

中世の人々はどうやって踊っていたのか?――民衆舞踏の起源と十字軍の意外な関係

トゥールーズ伯レーモン7世は自領の独立を守り、同時にそこに暮らす数千人のカタリ派信徒の命を守ろうとした。しかし彼は戦争に敗れ、アルビジョワ十字軍との長い戦乱で荒廃した南フランスの地は、彼の領土もろとも王領へと併合されてしまった。

第二のスタイルは「ブランル(branle)」である。こちらは円になって踊るタイプだった。踊り手たちは手をつなぎ、円の中央に一人が立ち、踊りの指揮を取った。ステップについては、おそらく旋律に応じて変化していたと考えられる。ジョンストンによれば、踊り手たちは「左へ一歩、右へ一歩、左、そして跳ねて蹴り出す」という動きを行っていたという。それほど複雑な連続動作ではないかもしれないが、おかげで踊り手たちは絶え間なく動き続けることができた。ブランルが踊られる機会の一つはクリスマスで、城の大広間などで盛大に踊られたという。

十字軍と何の関係があるのか?

一方、「エスタンピ(estampie)」については話がまったく違う。当時のほとんどの踊りとは異なり、エスタンピは永遠に踊り続けることができなかった。プロヴァンスのトルバドゥールたちが作曲した曲には始まりと終わりがあり、速いパートと緩やかなパートの組み合わせで構成されていたのだ。エスタンピが他の踊りと大きく異なるのは、集団がリズムに合わせて踊るのではなく、一組のカップルが注目の的となった点である。貴婦人と騎士がペアで踊ったのである。ステップはブランルとさほど変わらなかったと思われ、カップルは前後左右に移動しながら踊った。

ヨーロッパにおける宗教戦争の一つが、これらの踊りの大陸全土への普及と進化に大きく貢献した。中世トルバドゥールたちの言語が話されたプロヴァンスでは、隣接するラングドックと同じようにカタリ派の異端が広まっていた。カトリック教会はさまざまな手段でこれに対抗しようとしたが、破門をはじめとする措置がすべて失敗に終わると、教皇は「世俗の武力」に助けを求め、カタリ派に対する十字軍(アルビジョワ十字軍)を発動した。暴力を拒否する異端者たちは、一人の反骨の貴族がいなければ容易に打ち負かされていたであろう。トゥールーズ伯にしてプロヴァンス辺境伯のレーモン6世は、自らの所領へ押し寄せる侵略者たちに敢然と立ち向かったのである。

中世の人々はどうやって踊っていたのか?――民衆舞踏の起源と十字軍の意外な関係

戦火は南フランスの地を波のように襲い、それを完全に破壊し尽くした。長年にわたり人々を楽しませてきたトルバドゥールたちには、もはやそこに居場所はなかった。彼らはイタリア、神聖ローマ帝国、イングランド、北フランスなど、ヨーロッパ各地へと旅立っていく。こうした放浪の中で、エスタンピはさらなる進化を遂げた。それは後のヨーロッパ舞踏のインスピレーションとなり、出発点となったのである。時代が下るにつれ、歌や音楽のリズムに合わせた即興の跳ね回りに代わり、洗練された所作と身振りの舞台が踊りの世界を支配するようになっていった。

もし数千人のカタリ派信徒が虐殺されることがなければ、ヨーロッパの人々は今も円になって、右へ、そして左へと踊り続けていたのかもしれない……。

出典:

  • Ruth A. Johnston, All Things Medieval. An Encyclopedia of the Medieval World, vol. I, Greenwood, Oxford 2011.