愛と狂気は紙一重である。14世紀ポルトガルの王子ペドロの人生は、まさにその言葉を体現していた。長年連れ添った恋人を無残にも奪われた彼は、死すらも二人の絆を断ち切ることができなかった。死してなお、彼女と人生を――そして権力をも――分かち合おうとしたのだ。「死が二人を分かつまで」では、彼にとって決して足りなかったのである。
1340年、ポルトガル王位継承者ペドロ王子の二番目の妻、カスティーリャのコンスタンサの一行が、アフォンソ4世の宮廷に到着した。その従者の中に、ガリシア出身の貴族の娘イネス・デ・カストロがいた。彼女の類まれな美貌は、未来の国王の心を捉えることになる。ほどなくして二人は激しい恋に落ちた。この恋は歴史に悲劇的な足跡を刻み、偉大なる愛、裏切り、殺人、そして狂気に満ちた伝説へと姿を変えていく。
禁じられた愛
ペドロとイネスの関係は、王子の不幸な政略結婚の陰で静かに育まれていった。コンスタンサとの間には三人の子どもが生まれたものの、夫婦としての営みはもっぱら義務感によるものだった――正妻に対する義務、そしてポルトガル王座に対する義務である。

類まれな美貌で未来の国王の心を捉えたガリシア貴族の娘、イネス・デ・カストロ。
しかし、その苦悩は長くは続かなかった。1345年、待望の世継ぎフェルナンドを出産した直後、コンスタンサは産褥の床で息を引き取る。ペドロは喪失に暮れるどころか、この出来事をイネス・デ・カストロと結ばれる個人的な幸せへの好機と捉えたのである。
彼は他の貴族女性との縁談を頑なに拒み続けた。彼の心に居場所があったのはただ一人、すでに四人の子をもうけていたあの女性だけだった。問題は、この関係が政治的な理由から国家にとって危険とみなされていたことだった。

ペドロ1世と死せる女王イネス
デ・カストロ家は影響力を持つカスティーリャの名家とみなされていた。ポルトガル貴族もアフォンソ4世も、イネスの兄弟たちが将来の統治者に、ひいては王国の政治に及ぼしうる影響力を快く思っていなかった。まさにこの恐怖こそが、恋人たちの運命を決定づけた。悲劇は、間もなく訪れようとしていた。
犯罪と罰
宮廷の空気を熟知していたペドロは、イネスとの結婚を公式に認めてもらえることはまずないだろうと悟っていた。そこで二人は密かに誓いを交わし、関係を固めた――それは1354年のことだった。やがてこの出来事がアフォンソ4世の耳に届くと、王は激怒した。公然たる反抗と反逆――ポルトガルの支配者は、王位継承者の秘密結婚をそう受け止めたのだ。王は禁じられた愛に終止符を打つべく、1355年1月、疎ましい義理の娘の殺害を命じた。
イネス・デ・カストロの最期については、今日まで数々の伝説が語り継がれている。運命は彼女を「涙の館(キンタ・ダス・ラグリマス)」の壁内で待ち受けていたという。そこで子どもたちを目の前に、未来の女王は慈悲を懇願する叫びとともに無残にも刺し殺された――少なくとも、文学作品などに描かれてきたのはそんな光景だ。だが、真実もまた同じほど無慈悲なものであった。
実際、イネスは1355年1月7日、コインブラのサンタ・クララ修道院で処刑された。夫の不在中、彼女は幼い子どもたちとともにそこにいただけだったのである。

イネス・デ・カストロの死
すべてを知ったペドロは怒りに駆られ、父王への反乱を起こした。内戦は七か月にわたり国を荒廃させ、ポルトガルを混沌と血と破壊の炎の中へ沈めた。終止符を打ったのは、王の病だった。本意であろうとなかろうと、ペドロは死の床にあるアフォンソと和解せざるを得なかった。
しかしその和平は一時的なものにすぎなかった。アフォンソ4世がこの世を去ると、新王はイネスを殺した三人の刺客への復讐を再開したのだ。この血なまぐさい報復は、今日まで彼に呼ばれる異名の一つ――「残忍王」――を授けることとなった。
ペドロ1世と死せる女王イネス
最愛の妻が殺害されてから二年後、ペドロはついに妻の殺害者のうち二人の行方をつきとめ、極めて残酷な方法で復讐を遂げた。まず二人は鞭打たれ、次いで長く恐ろしい拷問にかけられ、最後には心臓をえぐり出されて絶命した――一人は胸から、もう一人は肩甲骨の下から。この緩慢な苦悶の最期を、王自身が見届けたという。伝説によれば、王は廷臣たちとともに宴の席で、その一部始終を眺めていたのだ。
しかし、この悲劇の物語はここで終わりではなかった。その幕引きは、人間を襲いうる狂気の物語として、今日でも最も恐ろしいものの一つに数えられている。
亡き妻の記憶を讃え、彼女に正妃の称号とポルトガル女王の地位を授けるため、ペドロ1世はイネス・デ・カストロの遺体の発掘を命じた。そして愛する人の朽ちゆく遺体をアルコバッサへ運び、戴冠用の衣装と王権の象徴で飾り立て、玉座に据えたのである。宮廷に仕える者全員が、腐りゆく手にはめられた指輪に口づけすることで、女王イネスへの敬意を払わねばならなかったという。

アルコバッサ修道院、イネスの墓を飾る彫像
その後、王はシトー会修道院の新しい墓に安置され、時が経ってからその正面に二つ目の墓――ペドロ1世自身のための墓――が建てられた。この象徴的な墓の配置は、最後の審判の日、恋人たちが蘇ったとき、最初に目にするのが互いの姿であるように、という願いを込めたものだと言われている。
二人の墓には「Até ao fim do mundo」――「世界の果てまで」という銘が刻まれている。