ローマの独裁官、その華麗なる裏の顔
ローマの政治家、軍司令官、終身独裁官にしてローマ共和国の「墓掘り人」――歴史はまずこの姿でガイウス・ユリウス・カエサルを記憶している。しかし同時代の人々にとって、彼は軍事的才能だけでは有名ではなかった。そのあまりに華やかでスキャンダラスな私生活こそ、政敵たちが好んで取り沙汰した話題だったのである。
ビテュニア王との「関係」――生涯つきまとう疑惑
若く美しかった貴族カエサルは、小アジアで軍歴をスタートさせた。舞台はローマと同盟を結ぶビテュニア王国、ニコメデス4世の宮廷である。ほどなくして噂が広まった。黒海の支配者と、ローマ人の矜持を許さぬばかりか、理想化された少年愛に慣れ親しんだギリシャ人ですら顔を赤らめるような関係を築いたというのだ。
伝えられるところによれば、カエサルは廷臣たちに付き添われて正式に王の寝室へ招き入れられ、紫衣をまとって黄金の寝台に横たわったという。スエトニウスは、二人が実際に同棲関係にあったと記録し、それがカエサルに「重大かつ永遠の恥」という烙印を押し、「万人の笑いもの」にしたとしている。後世にはこんな悪口が飛び交った。「カエサルはガリアを征服した。だがニコメデスはカエサルを征服した」。
黒海の君主は「薄汚い屋根裏部屋」呼ばわりされ、「厩(うまや)」や「ビテュニアの売春宿」の主と嘲笑された。他方のユリウスも、敵対者からは「女王に匹敵する災厄」「王の寝台の敷布」、さらには「ビテュニアの女王」とまで罵られたのである。
彼がローマ支配の独裁権力を思い描くたびに、周囲はこう皮肉った。「若い頃は王の寵愛を受け、今度は王になろうとしている」。元老院でニコメデスの功績(ちなみに王は死後、自国をローマ共和国へ遺贈している)に触れた際には、キケロが遮ってこう言い放ったという。「その功績の列挙はおやめください。彼があなたに何を与えたのか、そして何よりも、あなたが彼に何を与えたのかは、よく知られていますから」。
![カエサルの知られざる私生活――誘惑者、プレイボーイ、両性愛者 [18+]](https://www.historyback.com/article/uploadfiles/202207/2022072020004813.jpg)
カエサルの数多くの女性の中で、歴史に最も鮮明に残ったのはクレオパトラだ。だがローマの独裁官は異性にも事欠かなかった。同志の妻すら誘惑したのである。画像はジャン=レオン・ジェローム「クレオパトラとカエサル」(1866年)。
なぜ決定的な告発はなかったのか
驚くべきことに、これほど多くの中傷がありながら、カエサルの政敵は「ローマの血を汚した」とは直接告発しなかった。真剣に受け取られれば、彼の政治生命を断ち切りかねない告発のはずだ。理由は二つ考えられる。ニコメデスとの情事を裏付ける確かな証拠が存在しなかったか、あるいはローマ人が若気の至りには寛容だったか、いずれかである。
この有名な少年愛の逸話(史実かどうかはさておき)にもかかわらず、カエサルはむしろ「誘惑者」としての評判の方が強かった。第一回三頭政治の盟友、マルクス・クラッススとグナエウス・ポンペイウス、その両方の妻を「攻略」したとも言われる。しかも法的にも政治的にも一切の報復を受けていない! 単なる噂だったのだろうか? そしてローマの兵士たちは、ふざけ半分にこんな歌を口ずさんだという。「市民諸君、妻を守れ。ハゲの姦通夫がやってくるぞ」?
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セルウィリアとの長い情事、三人の妻
歴史家たちは確信している。長年にわたりカエサルの愛人だったのは、大マルクス・ユニウス・ブルトゥスの妻セルウィリアであり、彼女は後にカエサル暗殺者の一人となるマルクス・ユニウス・ブルトゥス(小)の母でもあった。息子のブルトゥスが実はユリウスの子である可能性すら指摘されている。さらにセルウィリアの娘とも関係を持った疑いがある。
加えてカエサルは通算三人の妻を娶り、晩年はエジプトの名君クレオパトラ7世と連れ添い、男子の後継者(カエサリオン)までもうけた。
「カエサルの妻は、疑いの影すら受けてはならない」――皮肉なことに、歴史がこの悪名高き姦通夫から記憶しているのは、まさにこの一言である。彼はこれを第二の妻ポンペイアとの離婚の口実に使った。発端は自宅での不祥事だった。紀元前62年、善き女神(ボナ・デア)を讃える祭りの儀式がカエサル邸で執り行われた。女性だけが参加を許される秘儀である。
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三番目にして最後の妻カルプルニアは、夫が襲われると予感したと言われる。前妻ポンペイアとは違って、カエサルは彼女に愛着を抱いていたようだ。彼女が不妊であると知ると、一夫多妻を認めるようローマ法の変更まで画策したという。画像はヴィンチェンツォ・カムッチーニ「カエサルの暗殺」(1805年)。
その夜、ユリウスの母が捕まえたのは、女物の粗末な衣をまとった若者――パトリキ(貴族)のクロディウス(悪名高いクラウディアの弟)だった。ポンペイアとの密会を企てていた疑いが持たれたが、姦通罪でも瀆神罪でも有罪にはならなかった。おそらくカエサル自身、有力なクロディウス一族との争いを深めたくなかったのだろう。その一方で、彼は即座にポンペイアと離婚した。彼女が「妻の貞節」についてのあの有名な言葉に見合う水準に達していなかったからである……。
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本稿は、著者が最新刊『恥知らずの時代――古代における性とエロティカ』(CiekawostkiHistoryczne.pl、2018年)の執筆中に書かれたものである。