歴史物語

酔いつぶれたフランス軍を全滅から救ったポーランド王子の見事な指揮

もしユゼフ・ポニャトフスキ公が存在しなければ、大陸軍の将校や兵士の少なくとも一部にとって、ロシア遠征はもっと早く幕を閉じていたことだろう。ミュラ元帥率いる前衛部隊は文字どおり死の危機に瀕していた。幸いにも、ポーランド人は絶妙なタイミングで動いたのである。

1812年10月18日、ナポレオンの悲劇的なロシア遠征の最中、タルチノの戦いにおいてユゼフ・ポニャトフスキ公は、優れた指揮官としての力量を遺憾なく証明してみせた。皇帝アレクサンドル1世からの圧力を受けたミハイル・クトゥーゾフ元帥は、当時大陸軍の前衛を指揮していたジョアシャン・ミュラ元帥の部隊へ攻撃を仕掛けたのだ。もしポーランドの王子が慎重かつ有能な司令官でなかったなら、フランス軍は疑いようもなく粉々に打ち砕かれていたはずである。

泥酔が招いた悲惨な結果

いったい何が起きていたのか。実は戦闘前夜、モスクワから食料とウォッカ、そして孤独なナポレオン軍の兵士たちの慰みとなるはずのロシア人女性を載せた輸送隊が、ミュラの陣営に到着していたのだ。ポーランド兵も宴に加わったものの、ポニャトフスキの命令により各自の持ち場へ戻っている。そしてそれが結果的に大正解となった。哨戒を配置していたのは彼の部隊だけだったのである。ミュラは酔いつぶれてしまい、適切な指示を出していなかった。そのため、ナポレオン軍の陣営全体が、ひとたび攻撃されればロシア軍のなすがままという危機的状況に置かれていたのだ。

一方、警戒を緩めなかったポーランド兵たちは、陣営へ迫るロシア軍を警告しただけでなく、直ちに攻撃の撃退に取りかかった。ユゼフ公は騎兵・歩兵・砲兵の連携を見事に活用した。進撃してくるロシア軍に対しては砲撃を命じ、同時にポーランド騎兵をコサックへの反撃へと突入させたのである。

この男がいなければ、大陸軍の前衛全体が粉微塵にされていたことだろう。ポニャトフスキは確実視された敗北を勝利へと転換してみせた。戦闘では、ロシア第2軍団長カール・バッゲフート中将までもが戦死している。ただし、ポーランド側にも犠牲者が出なかったわけではない。ナポレオン軍第5軍団の参謀長を務めていたスタニスワフ・フィシェル将軍が、戦場に散ったのである。

勝利こそ収めたものの、タルチノの戦いはナポレオンにモスクワからの撤退を決意させる一因となった。行軍中、ポーランド軍団は大陸軍の右翼に配置されていた。ポニャトフスキは10月29日に負傷するまで同軍団の指揮を執り続け、ヨーゼフ・ザイョンチェク将軍に指揮権を譲ると帰国した。ふたたび戦列に戻ったのは撤退戦のとき、すなわち彼の部隊がスモレンスクに到達してからである。

名将たちの成功の秘密

ユゼフ・ポニャトフスキ公をはじめとする歴史上の偉大な指揮官たちが、いかにして輝かしい成功を収めたのか。その秘訣については書籍『ポーランドの戦神たち』で詳しく読むことができる。本稿は、同書のうちポニャトフスキ公を扱った章からの抜粋である。