ジャガイモで日本の潜水艦を沈めた駆逐艦――USSオバノンの伝説
第二次世界大戦中には数え切れないほどの驚くべき逸話が生まれました。しかし、敵の潜水艦を「ジャガイモ」で攻撃したという話ともなると、にわかには信じがたいものがあります。ところが、これは実際に起きた出来事であり、しかも期待通りの結果をもたらしたのです。

フレッチャー級駆逐艦「オバノン」とは
USSオバノン(DD-450)は、アメリカ海軍のフレッチャー級駆逐艦です。このクラスは開戦後わずか2年ほどの間に175隻も建造されました。基準排水量2,050トン、そして何より最大35ノットという高速性能が最大の強みでした。1942年2月19日に進水し、同年6月26日に就役。初代艦長はエドウィン・R・ウィルキンソン少佐です。艦名は、第一次バーバリ戦争の英雄プレスリー・オバノン大尉にちなんで付けられたもので、米海軍海軍艦としては2隻目の命名でした。
カリブ海での訓練を終えたオバノンは、8月29日に太平洋へと回航されます。ちょうどその頃、ガダルカナル島をめぐる攻防が始まっていました。同艦はニューカレドニアに配備され、第21駆逐戦隊に編入。最初の任務は、ガダルカナルへ向かう護衛空母コパヒーの護衛でした。
激しい攻防の中、日本軍はソロモン諸島に建設した貴重な飛行場(ルンガ飛行場)を失います。米軍に占領された後、この飛行場は「ヘンダーソン飛行場」と改名されました。奪還の試みがことごとく失敗すると、日本軍は南太平洋における米軍作戦の生命線となったこの飛行場を破壊することを決意します。
初陣――第三次ソロモン海戦
11月7日、オバノンはダニエル・J・キャラハン少将の支援部隊に編入されました。この部隊は、歩兵部隊や食料、弾薬、航空機用資材を運ぶ輸送船団の護衛を担っています。航行中、オバノンは浮上した潜水艦を発見し、ただちに砲撃を開始。敵を撃沈こそできなかったものの、船団が安全圏まで離れるまで敵を潜航させ続けることに成功しました。
11月12日、船団は日本軍の雷撃機15機による攻撃を受けます。しかし濃密な対空砲火により、1機を除いて全機が撃墜されました。このうち4機の撃墜には、オバノンも貢献しています。
それでも日本軍は諦めませんでした。戦艦2隻、軽巡洋。戦艦2隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦14隻からなる艦隊が出撃し、輸送船団を阻止して、貴重な物資と増援が米軍の手に渡るのを防ごうとしたのです。一方の米軍は、オバノンが属する支援部隊に加え、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦3隻、駆逐艦8隻でこれに対抗しました。
戦闘は11月13日未明に勃発します。オバノンは日本の戦艦「比叡」に狙いを定め、あまりにも接近しすぎたため、比叡の主砲は俯角が足りず射撃できないという事態を引き起こしました。日本軍の斉射はことごとく米艦の頭上を越えていきます。
オバノンを含む米艦隊は比叡に集中砲火を浴びせ、大破させました。傷ついた巨艦は格好の標的となり、翌日には空母エンタープライズ所属機によって撃沈されています。この海戦で米軍は軽巡洋艦2隻(うち1隻ではキャラハン少将が戦死)と駆逐艦4隻を喪失。日本軍も戦日本軍も戦艦1隻と駆逐艦2隻を失いました。しかし何より重要なのは、日本艦隊が戦場から撤退したことです。物資は無事目的地に届き、ヘンダーソン飛行場は守られました。そして翌日には、同飛行場から発進した航空機が日本軍の輸送船11隻を撃沈する大戦果を挙げています。
伝説の瞬間――ジャガイモ攻撃!
呂34は、日本海軍の海中型(ロ号中型)潜水艦です。中型艇ながら、高角砲と対空機銃を備えていました。1943年4月5日の夕暮れ、浮上航行していた呂34は、オバノンの甲板に立つ見張り員に発見されます。
当初、アメリカ側の艦長は体当たりによる撃沈を考えました。しかし衝突直前になって、相手が機雷敷設艦である可能性が懸念され、命令は取り消されます。機雷を積んだ潜水艦にぶつかれば、こちらも致命的な被害を受ける恐れがあったのです。衝突寸前、間一髪で操舵により回避に成功しました。こうして駆逐艦は潜水艦の右舷側に並走する形となります。ここで、戦艦比叡との戦いと同じ状況が今度は逆の立場で再現されました。米軍側の砲塔の俯角が足りず、至近距離の敵を攻撃できなかったのです。

目の前に現れた米駆逐艦に一瞬呆気にとられていた日本軍乗員でしたが、すぐに我に返り、甲板砲の操作を始めます。猟師だったはずの米軍は、一瞬にして獲物へと立場が逆転してしまったのです。距離を取って砲撃態勢に入るまでの時間を、どうにかして稼がなければなりません。そこで兵士たちの目に留まったのが、甲板に放置されていたバケツでした。そしてその中身は……ジャガイモ。兵士たちは迷うことなく、それを武器として使い始めました。
日本の潜水艦の甲板に投げ込まれたジャガイモは、手榴弾のように見えたのです。艦体に当たるたび金属音を立てる様子も相まって、驚いた日本軍乗員は「まもなく爆発が起こる!」と思い込みました。彼らは砲の操作どころではなく、「爆弾」を海中へ投げ捨てることに必死になります。迫りくる薄暮の闇も、このトリックを隠すのに一役買いました。
こうして「ジャガイモ攻撃」は成功し、距離を十分に取るための時間を稼ぐことに成功しました。呂34が潜行する前に、オバノンは艦砲射撃を加え、さらに一連の爆雷攻撃でとどめを刺したのです。この驚異の活躍に対し、乗組員たちにはメイン州のジャガイモ農家が資金を出した特製の記念盾が贈られました。
真実か、それとも伝説か?
駆逐艦の乗組員がジャガイモを使って敵潜水艦を沈めたという話は、たちまち報道機関に取り上げられ、読者の心をつかむ人気の逸話となりました。しかしその真偽を疑う声もあります。第一の根拠は、1943年に同艦を指揮していたドナルド・J・マクドナルド艦長が、この件について一切コメントしなかったことです。また、航海日誌にもジャガイモ攻撃の記録はありません。日誌には、オバノンが適切な距離まで離れた時点で20ミリ砲と40ミリ機関砲による射撃を開始し、その後転舵して潜航した敵艦に爆雷攻撃を行ったことだけが記録されていました。
とはいえ、航海日誌にそうした記述がないことは不思議ではありません。日誌は通常、事実のみを簡潔に記録するものであり、センセーショナルな描写は書かれないからです。
さらに艦長自身は、そもそもジャガイモ攻撃など行われた記憶はないと語っています。彼の見解では、仮に誰かがジャガイモを投げたとしても、それは偶然甲板に居合わせた水兵くらいのものであり、そんな距離を投げて命中させるには、並外れた強肩が必要だったでしょう……。
今日では、どこまでが事実でどこからが伝説なのかを断定するのは困難です。艦長が沈黙を貫いたのは、自分や乗組員が仲間の海軍士官たちの笑いものになるのを避けるためだったのかもしれません。いずれにせよ、あっという間に展開した出来事のすべてを、マクドナルド艦長が把握しきれたとは考えにくいのも事実です。確かなのは、日本の潜水艦が実際に撃沈されたこと、そしてジャガイモで敵を沈めた乗組員たちの伝説が、今日まで生き続けているということなのです……。