ドイツ軍の手によって、第二次世界大戦中に亡くなったポーランド人は何人か。民間人と兵士はそれぞれ何人が命を落としたのか。弾圧や追放の結果、犠牲になったのはどれほどの人々なのか。70年以上が経過した今でも、その答えを導き出すことは決して容易ではありません。
ドイツ占領下の犠牲者数について現在入手できるデータは、終戦直後に閣僚評議会幹部会の戦時補償局が行った推計のみに基づいています。今日に至るまで、犠牲者の正確な人数も、一人ひとりの氏名や詳細も明らかになっていません。それでも、こうした推計を通じて、犯罪の規模を把握することは可能です。
兵士と民間人
1939年、ドイツ軍との戦闘で約7万人のポーランド兵士が戦死しました。捕虜となった42万人のうち、約1万人が死亡するか、あるいは殺害されました。同年9月初頭からは、民間人に対する弾圧の波も急速に拡大していきます。戦闘のさなか、ポーランド民間人の大量処刑が幾度となく行われました。最大級の悲劇の一つは、マゾフシェ地方、ヴィスワ川沿いの村シラドゥフで起こりました。9月18日、国防軍第4装甲師団の兵士たちが現地ドイツ系住民の協力を得て、機関銃の乱射により300〜350人のポーランド人を殺害したのです。
また、難民の行列や無防備な都市を標的にしたルフトバッフェ(ドイツ空軍)の攻撃によっても、多くの命が奪われました。ヴィエルニの町だけでも約1,200人が死亡しています(2,000人超とする推計もあります)。さらに歴史家ノーマン・デイヴィス教授の推計によれば、1939年から1944年の爆撃で命を落としたワルシャワ市民は合計9万人に上るとされます。

ドイツ軍によるワルシャワ爆撃では、戦争期間中に最大9万人が死亡しました。
この点で、ポーランドの首都が被った人口損失は、他のヨーロッパ諸都市をはるかに凌ぎ、広島への原爆投下による犠牲者数に匹敵します。ところが、ヨーロッパの一般市民の共通認識においては、なぜかドイツのドレスデンこそが、第二次世界大戦における航空攻撃の破壊力を象徴する都市とされているのです……。
特別作戦
「タンネンベルク」のコードネームで実施された「政治粛清」作戦、いわゆる「インテリゲンツァクツィオン(Intelligenzaktion)」では、約10万人が殺害されました。これは、第二次世界大戦中にこれほどの規模と執拗さをもって遂行された、最初の計画的絶滅作戦でした。同種の作戦として、1940年春から冬にかけて実施された特別鎮静作戦――Ausserordentliche Befriedungsaktion(A-B作戦)では、総督府領内に暮らす数千人のポーランド人が粛清されました。
残念ながら、ドイツの「T4作戦」によるポーランド人犠牲者の正確な数は確定できていません。ナチス指導部やそのイデオローグが宣言したように、「生きるに値しない命」とされた人々がその対象でした。推計では、2万人以上が殺害された可能性があります。
さらに見逃せないのが、ポーランド抵抗運動の活動に対する報復として処刑された、極めて多数の人々の存在です。直接の弾圧と報復行動の中で、地下軍の兵士約20万人と民間人約10万人が命を落としました。ここにワルシャワ蜂起で犠牲となった約20万人を加えると、死者は実に50万人に達します。

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絶滅収容所、弾圧、強制移送
ドイツの大量絶滅収容所は、膨大な数のポーランド住民を飲み込みました。6つの最大規模の収容所だけで、283万人のポーランド市民が絶滅させられたのです。このうち民族ポーランド人は100万人弱にとどまり、残りはユダヤ人でした。それでもなお、占領下ポーランド全土には約6,000もの収容所が存在していたのです!しかも、その多くについては死亡率のデータが不完全なまま残されています。
加えて、ドイツ占領当局が引き起こした、あるいは誘発した弾圧による、ポーランド東部国境地域(東部クレシー)でのポーランド人の損失も考慮する必要があります。これは15万人〜20万人と推定されています。
しかし、ユダヤ人を助けたことを理由に殺害されたポーランド人の数は分かっていません。追放作戦の最中、移送の途上、通過収容所内、あるいは占領当局が居住地として指定した場所で亡くなった人の数も不明です。強制労働の中で死亡あるいは殺害されたポーランド人の数に至っては、推し量ることしかできません。
忘れてはならないのは、戦争が多くの同胞に肉体的にも精神的にも深刻な傷を負わせたという事実です。終戦後、彼らはしばしば社会生活から永久的に締め出され、時に本来より早く世を去ることさえありました。

ドイツ人の犯罪的行為の結果、戦争中に数百万人のポーランド市民が命を落としました。写真は、パルミリで処刑されようとしている人質たちです。
これほど多くの未知数を抱えながら、果たして総損失数を示せるのでしょうか。資料によって差はありますが、600万人〜750万人と推計されています。ドイツ人の手によって命を落としたポーランド市民は最大510万人に上り、その内訳はおよそ次の通りです。民族ポーランド人が約150万〜170万人、ユダヤ人が290万〜330万人、そして残りは特定できない数の少数民族の人々でした。
直接的な戦闘行為で死亡したポーランド市民は約45万人です。つまり、直接・間接の絶滅政策による人口損失は、その10倍以上に達するのです。この事実は、ドイツ占領が持っていたジェノサイド(大量虐殺)的性格を、まぎれもなく証明しています。