1969年に発表されたアルバム『道』(原題:O Dromos)は、ギリシャ・ディスコグラフィー史上、最も商業的に成功した作品とされています。その唯一無二で時を超越した成功の理由は、作曲家ミミス・プレサスと作詞家レフテリス・パパドポウロスのコンビが、現代ギリシャの一時代を見事に「捉えた」ことにあるでしょう。加えて、ギリシャ映画でおなじみだったヤニス・プーロプーロスの歌声がレコードを大きく飛躍させ、レナ・クミオティやポピ・アステリアディの素晴らしい歌唱とも完璧に調和しました。
興味深い点として、「日曜日の夜明け」は民主主義への渇望を思い起こさせるために書かれた曲であり、また「日曜日の夜明け」と「フランゴクリサ」を除くすべての楽曲にサビが存在しないという特異な構成も、この作品ならではの魅力となっています。
誕生のきっかけは、机の上に散らばる十二枚の原稿
二人の協働は、ギリシャ映画向けの楽曲制作から始まりました。1969年当時、プレサスとパパドポウロスはすでに「子どもには話しかけるな」「今夜は月を飲んで」「開かれた石」といった楽曲を生み出しており、これらの曲は今日なお強い印象を残しています。
仕事上のパートナーシップは次第に深い友情へと育ち、二人は互いの家を行き来するほどの親交を重ねていました。
ある晩、プレサスがパパドポウロスの自宅を訪ねていると、パパドポウロスのもとに、勤務先である新聞「タ・ネア」編集部から電話がかかってきました。その電話を待つ間、プレサスはデスクの上に広げられた書類にふと手を伸ばします。
「読みはじめると、言葉にならないほどの温かい気持ちに包まれました。レフテリスの文章は、占領下で過ごした私の少年時代そのものを描いていたのです。目の前にあるものを集めると、十二枚ありました」——作曲家自身がそう語っています。
二日で完成させた十二曲
手にした詩を携えて、プレサスはパパドポウロスに作曲の許可を求めます。作詞家はしぶしぶ了承しました。ほとんどの詩が伝統的な「Aメロ・サビ」という形式を持たず、歌にできるとは考えていなかったからです。
ところが二日後、プレサスは全十二曲すべての作曲を終えていました。二人は完成した楽曲を、当時のレコード会社リラ(LYRA)の社長アレコス・パツィファスに披露し、パツィファスがこの作品集に『道』という題名を与えたのです。
わずか十時間で終えたオーケストラ録音
レコードの制作も驚異的なスピードで進みました。コロンビア・スタジオでのオーケストラ録音はわずか十時間で完了。「演奏に来たミュージシャンたちが、まるでこの作品を最初から知っていたかのようだった」とプレサスは振り返ります。
二日後には歌手陣(ヤニス・プーロプーロス、レナ・クミオティ、ポピ・アステリアディ)がスタジオ入りし、楽曲を一気に録音しました。
どれが代表曲か、意見は三つに割れた
関係者は楽曲の完成度に熱狂しましたが、「十二曲の中でどれがヒット曲になるか」については意見がまとまりませんでした。パツィファスは「日曜日の夜明け」を、プレサスは「今夜、僕の彼女は酔いしれる」を、そしてパパドポウロスは「二人乗りの雲に乗って」を、それぞれ推していました。
軍事政権下では放送禁止、民主化後に花開く
こうして発売された『道』は5万枚を売り上げ、ギリシャ初の「ゴールドディスク」として認定されます。しかし独裁政権の真っ只中にあったため、国営ラジオでは一切放送されませんでした。
また、アルバム収録曲をもとにした舞台『道』がカティナ・パシノウ劇場で上演されましたが、検閲の介入により急遽打ち切りとなりました。
『道』が本来の力を発揮するのは、民主主義が回復されてからのことです。楽曲は次々とヒットとなり、中でも「小さな彫像」は大きな反響を呼びました。現在までに『道』の累計セールスは200万枚を突破しており、ギリシャ音楽史上最も商業的に成功したレコードと評価され続けています。
収録曲一覧(各面6曲)
A面
- A1. マリアは笑う —— ヤニス・プーロプーロス
- A2. フランゴクリサ —— ヤニス・プーロプーロス&ポピ・アステリアディ
- A3. 今夜、僕の彼女は酔いしれる —— ヤニス・プーロプーロス
- A4. 狂人 —— ヤニス・プーロプーロス
- A5. 初めて —— レナ・クミオティ
- A6. 二人乗りの雲に乗って —— ヤニス・プーロプーロス
B面
- B1. 日曜日の夜明け —— ヤニス・プーロプーロス
- B2. 白をまとうミルシニ —— ヤニス・プーロプーロス
- B3. 十二丁のマンドリン —— ヤニス・プーロプーロス
- B4. 小さな彫像 —— ヤニス・プーロプーロス
- B5. その口唇を僕に —— レナ・クミオティ
- B6. 深い静寂が降りて —— ヤニス・プーロプーロス