今年11月12日、イギリス・ダラムのフランクランド刑務所で、ピーター・サトクリフが74歳でこの世を去った。死因は新型コロナウイルス感染症による合併症だった。
「ヨークシャー・リッパー」として知られる彼は、1981年の逮捕時に13件の殺人と7件の殺人未遂を認めている。狭心症や糖尿病などの持病を抱え、受刑者同士の暴行によってほぼ失明状態にあった。BBCによれば、コロナの治療を拒否していたとも伝えられており、病院で息を引き取ったという。
そして今、「ヨークシャー・リッパー」の生涯がNetflixのドキュメンタリーとして映像化される。今週水曜日に日本でも配信が始まり、彼の逮捕が遅れた一因となった組織的な性差別(セクシズム)の実態をも浮き彫りにする。
凄惨な犯行の数々
1975年から1980年までの5年間にわたり、サトクリフはヨークシャーおよびイングランド北西部で13人の女性を殺害した。襲撃の大半はウェスト・ヨークシャーで発生し、2件はマンチェスターだった。
彼は妄想型統合失調症と正式に診断され、30年間をブロードムア病院で過ごした後、2016年にダラム刑務所へ移送された。刑期は終身刑20回分に相当する。
1974年8月に妻ソニアと結婚し、その1年後に殺人を開始した。
歴史上の他の連続殺人犯と同様、彼は自分を「神から与えられた使命」を遂行しているのだと語り、売春婦を殺していたと主張した。しかし実際には、売春に関わっていない女性も犠牲になっていた。
最初の殺人は1975年10月。28歳のウィルマ・マッキャン、4人の子を持つ母親がハンマーで襲われ、15箇所を刺されて命を落とした。
最年少の被害者は14歳の少女だった。ハンマーで頭部を5回も殴られたが、奇跡的に一命を取り留めている。
襲った女性の遺体を損傷させるという「習慣」から「リッパー(切り裂き魔)」の異名を取った彼に対し、当時のメディアは「ジャック・ザ・リッパーの再来」だと騒ぎ立てた。

逮捕のきっかけは、本人のミスだった。1981年1月のことである。サトクリフは偽造ナンバープレートをつけた車で、売春婦を同乗させて走行中、偶然の警察検問に引っかかった。そこで癇癪を起こしたため拘束され、起訴から2日後には犯行を自供した。
検査した医師たちは妄想型統合失調症と診断したが、世間の多くはこれを弁護側による減刑工作にすぎないと疑った。ただ、最終的な量刑については裁判所はこの診断を受け入れなかった。逮捕と有罪判決の後、英国警察は殺人犯の特定が遅れたことについてメディアから激しく批判された。捜査期間中、彼は実に9回も事情聴取を受けていたのである。
さらに2006年には、1975〜80年の5年間の捜査記録が公開され、証拠が揃っていたにもかかわらず当局が極めて消極的な対応をとっていた実態が明らかになった。
待望のNetflixドキュメンタリー(『キャッツ 殺人ゲームを監視する猫』のジェシー・ヴァイルとエレナ・ウッドが監督・製作)では、当時の警察捜査に関する情報に加え、被害者遺族の証言も披露される。予告編はTwitterで、13人の被害者の名前とともに公開された。
全4話のシリーズは、捜査と逮捕の遅れにつながった当時のステレオタイプを浮き彫りにしていく。
同時にITVも、ジョージ・ケイ(Netflix『クリミナル』)の製作により、サトクリフを題材としたドラマシリーズを準備している。「声を上げたのに無視された女性たちに焦点を当てたい。これはヨークシャー出身の切り裂き魔の物語ではなく、ヨークシャーがその物語によってどう陥ったかの物語だ」と彼は語っている。
ITV版は全6話で、書籍『Wicked Beyond Belief: The Hunt for the Yorkshire Ripper』が原作となる。
生き残った女性たち
見逃せないのは、殺人犯の手から生き延びた女性たちのその後だ。彼女たちは相次ぐ手術を受け、記憶障害などの慢性的な後遺症に苦しみ、傷跡を隠すために髪型を変えることを余儀なくされた。
マーセラ・クラックストンは生き延びたものの、お腹の子を失い、うつ病、頭痛、めまいに悩まされ続けた。他の女性の中には、精神的に不安定だと判断され、子供の親権を失った者さえいた。
当時16歳だったテレサ・サイクスは、サトクリフが自分を死んだと思い込んだことで命拾いした。「何年もの間、枕の下にナイフを置いて眠らなければなりませんでした」と彼女は打ち明けている。恐怖に苛まれるあまり、夫であり子供の父でもある男性との離婚を選んだ。
オリーブ・スメルトはこう語る。「男性を受け入れられなくなりました。一緒にいた男性も拒絶しました」。彼女は恐怖とトラウマを乗り越えるべく、あえて男性が大半を占める環境である男子寮での仕事を選んだ。「普通の生活に戻れないことは分かっています。それでも、努力はしました」と彼女は言う。
アンナ・ログルスキーは、人に指差されているような感覚におびえ、家から出ることさえ怖くなったと語る。「時には、あの襲撃で死んでいればよかったと思うこともあります」と彼女は当時の悲劇を振り返る。
1980年当時は学生、現在はアーティストとして活動するモー・リアもサトクリフに殴打された一人だが、この事件は公式には彼の犯行とは認定されていない。「PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断され、心の中で格闘しなければならないことがたくさんあります。でも、生き延びた今、もう何も私を壊すことはできません」と彼女は語る。
この事件の悲劇性、そして当時の社会に根付いていた女性嫌悪(ミソジニー)を象徴するのが、ヨークシャー警察が被害者を「売春婦」と「良識ある女性」の2つのグループに分類したことだ。当時の刑事たちは、被害者を「素行の良くない女性」などと表現していた。こうした偏見こそが捜査の進展を遅らせ、結果としてさらに多くのセックスワーカーや少女、若い女性が連続殺人犯の犠牲となった。当時のメディアに至っては、「未知の殺人犯」の被害者全員を売春婦として扱ったほどである。
肉体的にも精神的にも深い傷を負いながら、生存者たちは皆、殺人犯の特定のために警察に協力した。しかしその証言は「信頼できない」とみなされた。彼女たちの名誉が回復されることはついになく、もしサトクリフ自身の過ちがなければ、彼は永遠に捕まることもなかっただろう。