歴史物語

ノルマンディー上陸作戦から77年:史上最大の水陸両用作戦「Dデー」の全貌

1944年6月6日の曇り空の朝、第二次世界大戦最大の軍事作戦にして、軍事史上最大の水陸両用作戦――ノルマンディー上陸作戦、すなわち歴史に「Dデー」として刻まれた作戦が実行されました。これはナチス・ドイツに対する決定的な一撃となり、歴史家たちの一致した見解によれば、戦争の帰結を左右した転換点の一つでした。

ノルマンディー上陸作戦に向けた準備

ドイツを打倒するために南から北へ進軍すべきか、それとも英仏海峡を渡って上陸すべきかをめぐる連合国間の対立は、テヘラン会談(1943年11月28日〜12月1日)で決着しました。スターリンはアメリカの支持を背景に、フランスへの侵攻こそがドイツを打倒する唯一の道だと主張しました。

1944年1月、オーバーロード作戦の準備が本格的に始動しました。アメリカのドワイト・D・アイゼンハワー将軍が最高司令官に任命され、陸・海・空の各軍にはイギリス人の指揮官が就きました。計画では、フランス北部のノルマンディー沿岸の狭い正面から、5個軍団による攻撃が行われることになっていました。これを実現するため、アイゼンハワーは史上かつてない規模の上陸艦隊を編成しなければなりませんでした。もし成功すれば、この上陸はフランスを東へ進み、ナチス・ドイツの心臓部へと突き進む連合軍の大攻勢の幕開けとなるはずでした。

ノルマンディー上陸作戦から77年:史上最大の水陸両用作戦「Dデー」の全貌

作戦立案者たちの最大の懸念は、上陸地点をドイツ軍に察知されないことでした。それができれば、ドイツ軍は海岸線全体に兵力を分散配置せざるを得なくなります。そこで「ボディーガード作戦」と呼ばれる綿密な欺瞞計画が立てられ、ヒトラーに主攻撃目標はノルマンディーよりはるかに北のカレー周辺だと信じ込ませることに、予想をはるかに超える成功を収めました。当時フランスには58個師団のドイツ軍が展開していましたが、ノルマンディー沿岸に配備されていたのはわずか14個師団でした。また、連合軍の制空権の活用も極めて重要でした。敵航空戦力を無力化し、北フランスの輸送網を分断することが求められたのです。

イギリス国内ではアメリカとイギリスの軍人たちが上陸計画を練っていた一方、ドイツ側では、かつてのアフリカ戦線での活躍から「砂漠の狐」の異名を取るエルヴィン・ロンメル元帥が、予想される上陸の迎撃を命じられていました。彼は水中障害物、燃料貯蔵タンク、爆撃防護施設、地雷原などを駆使して、フランス沿岸のドイツ軍防御陣地を強化していきました。しかし彼の最大の難題は、オランダからイタリア国境まで、西ヨーロッパ沿岸約4800キロ(3000マイル)に及ぶ海岸線を警戒し続けなければならないことでした。

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上陸作戦の実行

イングランドから北フランスへの上陸は、当初1944年6月5日に予定されていましたが、英仏海峡の悪天候のため24時間延期されました。イギリスのバートラム・ラムジー提督が率いる巨大な艦隊が編成され、その内訳は軍艦1200隻、航空機1万機、上陸用舟艇4126隻、輸送船804隻、そして数百両の装甲水陸両用車などに及びました。上陸するのは15万6000人(アメリカ兵7万3000人、イギリス・カナダ兵8万3000人)。うち13万2000人が船で、2万3500人が航空機で輸送されました。地上部隊の指揮はイギリスのバーナード・モントゴメリー将軍が執り、その正面に立ちはだかったのは、アフリカ戦線で因縁のある相手、ドイツのエルヴィン・ロンメル元帥でした。

ノルマンディー上陸作戦から77年:史上最大の水陸両用作戦「Dデー」の全貌

「ネプチューン作戦」という暗号名で呼ばれた上陸は、6月6日夜明け前、ユタ、オマハ、ゴールド、ジュノー、ソードと命名されたノルマンディーの5つの海岸で開始されました。上陸地点として選ばれた海岸は、オルヌ湾からコタンタン半島の南西端まで広がっていました。作戦前夜には、イギリスのコマンド部隊が敵戦線の背後に降下し、要所となる橋を確保するとともに、ドイツ軍の通信網を麻痺させていました。

5つの海岸のうち4つは、連合軍によって比較的容易に素早く確保されました。ところが5つ目の「オマハ」では、ドイツ軍の猛烈な抵抗に直面することになります。それでも日没までには、5つの上陸地点すべてに大規模な橋頭堡が築かれ、ドイツ打倒に向けた最終段階の作戦が始まったのです。

上陸作戦の成功を支えたのは、何よりも連合軍の圧倒的な制空権でした。連合軍機は東のセーヌ川と南のロワール川に架かる橋のほとんどを破壊し、ドイツ軍がノルマンディー沿岸の橋頭堡に布陣する先遣部隊へ、適切なタイミングで増援を送り込めないようにしたのです。

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ドイツの門戸に立つ連合軍

当初の計画では、イギリス軍は上陸初日に戦略上重要な都市カーンを占領する予定でした。ドイツ軍の防御を手早く無力化したものの、装甲師団の出現によって部隊が足止めされたことや、アイゼンハワーとモントゴメリーの間の戦術をめぐる意見の相違もあり、勝利の凱旋入城を果たせたのは7月9日のことでした。一方、アメリカ軍はコタンタン半島で激しい抵抗に見舞われましたが、最終的には6月26日、生命線となる重要港シェルブールを攻略しました。

絶え間ない戦闘はドイツ軍の戦力を着実に消耗させていきました。7月25日、オマール・ブラッドレー将軍が西部戦線を突破すると、わずか数日のうちにセーヌ川へ向かう進路沿いの抵抗を一掃しました。8月7日から13日にかけてモルタンで行われたドイツ装甲部隊の反撃も撃退されます。8月末には連合軍はセーヌ川を渡河し、9月にはついにドイツ国境の目前まで到達したのです。

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