歴史物語

アン・オブ・クレーヴズは斬首されたのか?ヘンリー8世の4番目の妃の知られざる真実

アン・オブ・クレーヴズは斬首されていない

「アン・クレブズが斬首されたのはいつか?」という疑問に対する答えは明快です。実は、アン・オブ・クレーヴズ(Anne of Cleves)は斬首されていません。彼女はイングランド王ヘンリー8世の4番目の妃となりましたが、離婚後も穏やかな余生を送り、ヘンリー8世の死後も長く生き抜いた、6人の妃の中で最後まで存命だった人物です。

ヘンリー8世との結婚

アン・オブ・クレーヴズは、ドイツのクレーヴェ公国の公女として生まれました。当時のヘンリー8世は、フランスや神聖ローマ帝国に対抗するためプロテスタント諸侯との同盟を必要としており、政治的な思惑からアンとの縁談が進められました。こうして1540年1月、二人は正式に結婚します。

しかし、この結婚生活はわずか半年足らずで終わりを迎えます。ヘンリー8世はアンに魅力を感じられなかったとされ、婚姻は実際には完結しないまま、同年7月に無効とされました。

「離婚」がもたらした幸運

皮肉なことに、この離婚こそがアンの命を救いました。ヘンリー8世の妃たちの中には、アン・ブーリンやキャサリン・ハワードのように断頭台に送られた者もいましたが、アンは離婚に協力的な態度を示したことが高く評価され、手厚い待遇を受けたのです。

彼女は「国王の愛する妹(the King's Beloved Sister)」という名誉ある称号を与えられ、ヒーヴァー城やリッチモンド宮殿といった邸宅と、十分な年金を保障されました。ヘンリー8世とも友好的な関係を保ち、宮廷行事にも招かれるなど、安定した暮らしを送ることができました。

最期まで生き延びた王妃

ヘンリー8世は1547年に亡くなりましたが、アンはその後も健康に暮らし、1557年にこの世を去りました。つまり彼女は、元夫であるヘンリー8世よりも約10年長く生きたことになります。6人の妃の中で最後に亡くなったのも、他ならぬアンだったのです。

まとめると、アン・オブ・クレーヴズは斬首されることなく、イングランドで裕福で安定した余生を送った人物です。「ヘンリー8世の妻=悲劇的な末路」というイメージとは裏腹に、賢明な判断と柔軟な適応によって、歴史上でも珍しいほど円満な「離婚後の人生」を手に入れた女性といえるでしょう。