イギリスにおける救貧院(ワークハウス)の本格的な設立は、1834年に制定された「救貧法改正法」、いわゆる新救貧法が大きな転機となりました。この法律の施行により、イングランドとウェールズ各地に救貧院が次々と建てられていくことになります。
新救貧法とは何だったのか
それまでの救貧法は、貧困者に対して屋外での金銭給付を行う仕組みが中心でした。しかし、これが貧困層の自立を妨げているという批判が高まり、抜本的な制度改革が求められるようになりました。そこで1834年に成立したのが新救貧法です。
この法律の下では、救済を受けるためには原則として救貧院に入所しなければならない「院内救済の原則」が採用されました。
救貧院の目的と仕組み
救貧院は、社会で最も貧しい人々に救済の手を差し伸べることを目的とした施設でした。入所者は滞在の見返りとして、以下のような支援を受けられます。
- 食事の提供
- 住居の確保
- 労働の機会
一見すると生活の保障があるように思えますが、その実態は決して楽なものではありませんでした。
厳しかった救貧院の現実
救貧院では、本当に困窮した人だけが救済を求めるようにするため、あえて過酷な環境が意図的に作られていました。家族は引き離されて別々に暮らし、与えられる食事は質素で、日々の労働は石割りや麻ほぐしなどの重労働でした。こうした厳しさから、救貧院は当時の人々から恐れられ、「最後の頼みの綱」としての存在でした。
歴史に残る意義
救貧院制度は20世紀前半まで存続しましたが、その過酷な実態はチャールズ・ディケンズの『オリバー・ツイスト』などの文学作品でも描かれ、社会問題として広く知られるようになりました。1834年の新救貧法と救貧院の設立は、近代イギリスの社会保障制度の原点を知る上で欠かせない歴史的出来事といえるでしょう。