歴史物語

フランシスコ・コロナドはスペイン帰還後、どのような扱いを受けたのか?

フランシスコ・バスケス・デ・コロナド(1510年頃〜1554年)は、1540年から1542年にかけて北米南西部への大遠征を率いたスペインの探検家です。黄金に満ちた伝説の「シボラの七都市」を求めて出発したものの、目的を果たせないまま帰還しました。しかし、スペイン側で受けた彼の扱いは、意外にも概して好意的なものでした。

失敗にもかかわらず温かく迎えられた理由

コロナドの遠征は、主な目標であった金鉱や「七都市」の発見には失敗しました。それでも彼が比較的温かい扱いを受けた最大の理由は、遠征を通じて広大な未知の領域を探検し、その存在を記録したことにあります。

彼の一行は現在のアリゾナ州、ニューメキシコ州、テキサス州、オクラホマ州、さらにはカンザス州にまで足を踏み入れました。ヨーロッパ人として初めてアメリカ南西部の内陸部を体系的に調査した偉業であり、後にこの地域がスペイン領として開拓されていく際の重要な基礎となりました。

自己資金による遠征という事情

もう一つ見逃せない点は、この遠征が王室の資金ではなく、コロナド自身とその妻の財産、そして借金によって賄われていたことです。莫大な私財を投げ打って王国のために尽力したという事実は、結果が伴わなかったとしても彼を評価する大きな要素となりました。

帰還後の裁判と晩年

ただし、帰還後の人生が順風満帆だったわけではありません。1544年には「レシデンシア」と呼ばれる政績審査を受け、先住民への対応や遠征中の指揮について厳しく追及されました。最終的に大半の容疑については無罪となりましたが、一部の責任を問われたこともありました。

その後、彼はヌエバ・ガリシア総督の職を退き、メキシコシティで評議会員として穏やかな余生を送り、1554年に同地で亡くなりました。金を持ち帰ることはできませんでしたが、その探検の記録は後世の歴史において高く評価され続けています。