第二次世界大戦中、アムステルダムのプリンセンフラハト263番地にある「隠れ家(シークレットアニックス)」には、アンネ・フランクだけでなく、合計8人の人々が身を潜めて生活していました。ここでは、アンネの家族と共に隠れ住んだもう7人の仲間について、詳しくご紹介します。
隠れ家で暮らした8人のメンバー
1. オットー・フランク
アンネの父親であり、家族の大黒柱。香料会社「ペクタコン」を経営する実業家でした。後に唯一の生存者として、アンネの日記を世に出した人物でもあります。
2. エディス・フランク
アンネの母親で、オットーの妻。主婦として家庭を守り、閉ざされた空間での家族の暮らしを支えました。
3. マルゴット・フランク
アンネの姉。1926年2月16日生まれ。真面目で聡明な姉として、日記の中にもたびたび登場します。
4. ヘルマン・ファン・ペルス
オットー・フランクのビジネスパートナー。1898年3月31日生まれで、妻子と共に隠れ家へ身を寄せました。日記では「ファン・ダーンさん」という名前で描かれています。
5. アウグステ・ファン・ペルス
ヘルマンの妻。1900年9月29日生まれ。陽気ながらも口論の絶えない人物として、日記に印象的な姿を残しています。
6. ペーター・ファン・ペルス
ヘルマンとアウグステの息子。1926年11月8日生まれ。隠れ家での生活の中でアンネと心を通わせるようになり、彼女が初恋の相手とした人物として知られています。
7. フリッツ・プフェッファー
歯科医師で、フランク家の知人。1889年4月30日生まれ。日記には「アルベルト・デュッセル」という名前で登場し、アンネと部屋を共有することになったことから、しばしば衝突も起こしました。
2年余りに及ぶ緊張の共同生活
8人の人々は、1942年7月6日に隠れ家での生活を始め、1944年8月4日に密告によって逮捕されるまで、2年以上にわたり極限状態の共同生活を送りました。書物の並ぶ本棚の奥に隠された出入り口の向こう側で、彼らは昼間は音を立てず、夜だけほっと一息つくという日々を過ごしていました。
潜伏期間中、彼らを支えたのが、信頼できる数名のオランダ人の協力者たちです。ミープ・ヒースら支援者は、食料や日用品、そして外の世界のニュースを危険を冒して届け続けました。この献身的な助けがなければ、2年余りの潜伏生活は成り立たなかったといえます。
ホロコーストを生き延びたのは、ただ一人
逮捕後、8人は強制収容所へ送られました。そのうち戦後まで生き延びたのは、オットー・フランクただ一人でした。妻エディス、娘マルゴットとアンネ、そしてファン・ペルス一家とプフェッファーは、いずれも解放の光を見ることなく命を落としています。
戦後アムステルダムに戻ったオットーは、娘アンネが遺した日記を出版することを決意しました。少女の率直な筆致で綴られたこの日記は、戦争の悲惨さと、過酷な状況下でも失われない人間の希望と強さを伝える貴重な証言として、今日も世界中で読み継がれています。