「アン・ボイル」という名前を目にすることもありますが、これは誤りです。正しくはアン・ブーリン(Anne Boleyn)。彼女はイングランド王ヘンリー8世の2番目の王妃であり、後に「処女王」と呼ばれるエリザベス1世の母としても知られています。
フランス宮廷での侍女時代
アン・ブーリンは1513年頃、少女期にフランスへ渡りました。当初は、ヘンリー8世の妹メアリー・テューダーがフランス王ルイ12世に嫁ぐ際にその侍女として仕えています。しかしルイ12世はまもなく死去し、メアリーはイングランドへ帰国。一方アンはフランスに留まり、新王妃クロードの侍女として数年間を過ごしました。この時期に彼女は洗練された教養とフランス流の振る舞いを身につけたといわれています。
イングランド宮廷での出会い
1522年頃に帰国したアンは、王妃キャサリン・オブ・アラゴンの侍女としてイングランド宮廷に仕えることになりました。ここでヘンリー8世との接点が生まれます。当初アンは宮廷文化人の一人トマス・ワイアットらと親交があったと伝えられますが、1520年代半ばにはヘンリー8世自身がアンに強く惹かれるようになり、熱烈な文通まで交わすようになりました。
ひとつの出会いが変えた歴史
ヘンリー8世はアンを妻に迎えるため、キャサリンとの婚姻の無効を求めてローマ教皇庁と対立します。この対立はやがてイングランドの宗教改革、すなわちローマ・カトリックからの離脱とイングランド国教会の成立へとつながっていきました。1533年、アンは正式に王妃となり、翌年にはエリザベス(後のエリザベス1世)を出産しています。
こうして見ると、二人の出会いは単なる恋物語にとどまらず、イングランドの歴史を大きく転換させる契機となったのです。