アメリカ南北戦争中に戦われた「シャイロの戦い」と「ビックスバーグの戦い」は、いずれも北軍(ユニオン軍)が勝利しました。この2つの戦いは西部戦線における北軍優位を決定づけ、戦争全体の帰趨を大きく左右する転換点となりました。
シャイロの戦い(1862年4月6日~7日)
シャイロの戦いは、1862年4月6日から7日にかけて、テネシー州南西部で行われました。北軍はユリシーズ・S・グラント将軍とドン・カルロス・ビューエル将軍が指揮を執り、南軍(コンフェデラシー軍)はアルバート・シドニー・ジョンストン将軍とP.G.T.ボーリガード将軍が指揮しました。
初日は南軍の奇襲によって北軍が大きく押し込まれましたが、2日目に態勢を立て直した北軍が反撃に転じ、最終的に勝利を収めました。この戦いでは双方合わせて23,000人を超える死傷者が出ました。当時としては異例の規模の損害であり、南北戦争が長期化し苛烈さを増していくことを予感させる戦いとなりました。なお、南軍のジョンストン将軍はこの戦いで戦死しています。
ビックスバーグの戦い(1863年5月18日~7月4日)
ビックスバーグの戦いは、1863年5月18日から7月4日まで、ミシシッピ州ビックスバーグで行われました。グラント将軍率いる北軍は、ジョン・C・ペンバートン将軍が指揮する南軍を包囲し、約47日間にわたって補給路を断ち続ける包囲戦を展開しました。
耐えきれなくなったペンバートン将軍は1863年7月4日、独立記念日のその日に降伏し、北軍が勝利しました。この勝利により北軍はミシシッピ川の完全な支配権を獲得し、南軍の領土を東西に分断することに成功しました。「父なる川」と呼ばれるミシシッピ川の掌握は、西部戦線における決定的な転換点となりました。
2つの戦いの歴史的意義
シャイロの戦いで北軍はテネシーへの足場を固め、続くビックスバーグの戦いの勝利によってミシシッピ川を制圧しました。これらの勝利はグラント将軍の名声を高め、後に彼が北軍総司令官へと抜擢される重要な契機となりました。さらに、南軍を東西に分断したことで南部の物資・兵員の輸送網が遮断され、終局的には北軍の勝利へとつながっていきました。