歴史物語

武則天(則天武后)の娘の名前は?太平公主と安定思公主を解説

中国史上唯一の女帝として知られる武則天(則天武后)。実は彼女には娘が二人いました。最も有名なのは太平公主(たいへいこうしゅ)で、もう一人は幼くして亡くなった安定思公主(あんていしこうしゅ)です。

武則天の六人の子どもたち

武則天が高宗との間にもうけた子どもは、息子4人・娘2人の計6人です。それぞれの生涯を簡単に見ていきましょう。

息子たち

  • 李弘(り・こう):長男。皇太子に立てられましたが、24歳の若さで亡くなりました。
  • 李賢(り・けん):次男。「章懐太子」と呼ばれますが、母后と対立して廃太子となり、追放先で命を絶たれました。
  • 李顕(り・けん):三男。一時廃位されながらも復位し、唐の中宗として即位しました。
  • 李旦(り・たん):四男で末子。兄と同じく二度の即位経験を持ち、唐の睿宗となりました。

娘たち

  • 安定思公主:長女。生後間もなく亡くなり、その死には宮廷内の陰謀が絡んでいたと伝えられています。
  • 太平公主:末娘。成人し、権勢を誇る公主として知られました。母后譲りの政治的手腕を発揮し、晩年まで唐の政界に大きな影響を与えた人物です。

まとめ:武則天の娘とは?

武則天の娘として特に有名なのは太平公主です。彼女は成人し、母親と同様に強い存在感を放ちました。一方、もう一人の娘である安定思公主は早世しており、歴史の表舞台に立つことはありませんでした。

なお息子たちについては、末子の李旦(睿宗)だけでなく、三男の李顕(中宗)も成人し、ともに皇帝の座に就いています。