ルイ・ジョリエットとはどんな人物?
ルイ・ジョリエット(Louis Jolliet、1645年9月21日~1700年4月)は、フランス系カナダ人の探検家であり毛皮商人です。1673年にジャック・マルケット神父とともに行ったミシシッピ川探検で、その名を広く知られるようになりました。
幼少期と教育
ジョリエットは1645年、ヌーベルフランス(現在のカナダ)のトロワリヴィエールに生まれました。父ジャン・ジョリエットは成功を収めた商人兼造船業者、母マリー・ダバンクール・ド・フランシュヴィルは裕福な地主の娘でした。彼はケベック・シティーのイエズス会学院で古典教育を受け、高い教養を身につけて育ちました。
探検の旅
1669年、ヌーベルフランスの総監ジャン・タロンから五大湖地域の探検を命じられたジョリエットは、ソー・サント・マリーへ向かい、その後スペリオル湖の湖岸線に沿って移動しました。1670年にはセントルイス川に到達し、スー族と出会います。彼らから「西に大きな川がある」という情報を得たことが、後の偉業につながりました。
1673年、ジョリエットはマルケットとともにミシガン州セントイグナスを出発し、ミシシッピ川の探索に乗り出します。二人はミシシッピ川を下り、アーカンソー川の河口付近まで到達しました。帰還後の1674年、ジョリエットはケベック・シティーに戻り、探検の詳細を記した報告書を作成しています。
晩年
ミシシッピ川探検からの帰還後、ジョリエットは成功した毛皮商人となり、政府職員としても活躍しました。さらにヌーベルフランス王立水路測量官にも任命されるなど、多方面で才能を発揮しました。1700年、ケベック・シティーでこの世を去っています。
歴史に残る功績
ジョリエットは北米大陸で最も重要な探検家の一人と評価されています。彼のミシシッピ川探検は、ヨーロッパ人による北米内陸部の探検と入植への道を開きました。また、彼が作成したミシシッピ川の地図は当時最も正確なものであり、ラ・サールやヘネピンといった後続の探検家たちにも利用されました。
さらにジョリエットは、優れた外交官・交渉人としても記憶されています。探検の途上で出会った先住民族の諸部族と平和的な関係を築くことに成功し、その働きはフランスによる北米植民地化への道を切り開くものとなりました。
後世への影響と顕彰
ジョリエットの名前は北米各地の地名に今も残っています。イリノイ州のジョリエット市、ジョリエット刑務所、ジョリエット・ジュニア・カレッジなどがその代表例です。また、ケベック州モントリオールのアルム広場(Place d'Armes)には、彼の功績を讃える銅像が建てられています。