歴史物語

西暦610年・619年・622年・630年・632年に何が起こった?イスラム教誕生期の重要な出来事

7世紀前半は、中東の歴史が大きく動いた激動の時代でした。アラビア半島では新しい宗教であるイスラム教が誕生し、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)とサーサーン朝ペルシアは長年にわたる戦争で互いに疲弊していきました。ここでは、西暦610年から632年までの間に起こった主要な出来事を、年ごとにわかりやすく振り返ります。

西暦610年:預言者ムハンマド、最初の啓示を受ける

メッカ近郊のヒラ山にある洞窟で瞑想していたムハンマドは、天使ジブリール(ガブリエル)から最初の啓示を受けました。この出来事は、彼が預言者としての使命を帯びた瞬間であり、イスラム教誕生の出発点として位置づけられています。

西暦619年:戦火が拡大した「悲しみの年」

602年頃から続いていたビザンツ帝国とサーサーン朝の戦争はさらに激化し、この年にはサーサーン朝軍がエジプトのアレクサンドリアを攻略するなど、大きな戦果を挙げました。この長期戦争は、両大国の国力を著しく消耗させることになります。

一方アラビア半島では、ムハンマドを支えてきた妻ハディージャと保護者である叔父アブー・ターリブが相次いで死去。このため619年は、イスラム伝承において「悲しみの年(アーム・アル=フズン)」と呼ばれています。

西暦622年:ヒジュラ(聖遷)――イスラム暦の始まり

メッカでの迫害が激しくなる中、ムハンマドとその信者たちは北方の都市ヤスリブ(後のマディーナ)へ移住しました。この「ヒジュラ(聖遷)」は、ムハンマドを中心とするイスラム共同体(ウンマ)が正式に成立した歴史的な転換点であり、後に行方を基準とするイスラム暦の紀元元年として採用されています。

西暦630年:メッカの無血開城

628年のフダイビーヤ和約を経て、630年にはムハンマドが大軍を率いてメッカへ進軍しました。大きな流血をともなうことなくメッカは開城し、カーバ神殿から偶像が取り除かれました。これにより、アラビア半島におけるイスラム教の地位は決定的なものとなりました。

西暦632年:預言者ムハンマドの逝去

生涯最後となる「別れの巡礼」を終えたムハンマドは、同年マディーナで病に倒れ、およそ63歳で亡くなりました。しかしその死後も、彼のもとで固まった信仰と共同体は急速に拡大し、数十年のうちに広大な領域を覆うイスラム帝国の礎となっていきます。

関連する重要な出来事

この時期には、初期イスラム史の行方を左右した戦いや合意も知られています。ムスリムがメッカ軍を破ったバドルの戦い(624年)、ムスリムとメッカ側との間で10年間の休戦を定めたフダイビーヤ条約(628年)、そしてカーリド・イブン・アル=ワリード率いるムスリム軍がビザンツ軍を撃破し、レヴァント征服への道を開いたヤルムークの戦い(636年)などが代表例です。