ソ連のヨシフ・スターリン政権は、1920年代末から1930年代初頭にかけて、「クラーク撲滅(デクラーキゼーション)」および農業集団化と呼ばれる過酷なキャンペーンを実施しました。その結果、ウクライナのクラーク(富農)とされた人々は、強制移住、処刑、財産没収といった様々な形の弾圧を受けることになりました。
ここでは、ウクライナのクラークたちに実際に何が起こったのかを詳しく見ていきます。
強制移住(追放)
クラークの認定は、土地の所有量、富、社会的地位といった恣意的な基準に基づいて行われました。
ひとたび「クラーク」と認定されると、本人とその家族は家屋敷から強制的に引き離され、シベリアやカザフスタンなど、ソ連の辺境地域へと移送されました。
これらの強制移住は極めて冷酷な方法で実行され、移住させられる側の人間性はほとんど顧みられませんでした。劣悪な輸送環境や食料・住居の不足により、移送の途中で命を落とした人は少なくありません。
処刑
クラーク撲滅キャンペーンの期間中、相当数のクラークが処刑されました。
処刑は、NKVD(内務人民委員部)に代表されるソ連の秘密警察によって執行されることが多く、適正な裁判や法的手続きを経ないまま、「人民の敵」「反革命分子」などのレッテルを貼られて命を奪われたのです。
財産の没収
クラークの所有する財産は、すべてソ連政府によって没収されました。
対象となったのは、土地、家畜、農機具はもちろん、彼らが保有するその他のあらゆる資産です。
没収された財産は、多くの場合、コルホーズ(集合農場)や国営企業へと再分配されました。
ウクライナ社会への深刻な影響
クラーク撲滅キャンペーンは、ウクライナ社会全体に壊滅的な打撃を与え、広範囲にわたる飢饉と大量死を引き起こしました。
直接的な暴力、飢餓、劣悪な生活環境などにより、数百万規模のウクライナ人が命を落としたと推定されています。特に、農業の強制的な集団化は生産性の低下を招き、飢饉をさらに悪化させました。この大飢饉は後世「ホロドモール」と呼ばれ、ウクライナにとって国家的な悲劇として記憶されています。
まとめ
クラーク撲滅キャンペーンは、ウクライナの富農層を壊滅させただけでなく、同国の経済と社会の基盤そのものに深刻な傷を残しました。ウクライナ史上最も暗い章の一つとされるこの出来事は、ソ連体制による抑圧と暴力の象徴として、今日まで語り継がれています。