1431年、フランスのルーアンで開かれた教会裁判(異端審問)において、ジャンヌ・ダルクには合計70件もの容疑がかけられました。中でも最も重い罪状は「異端」であり、神の意志に反する言動や教会の権威への不服従などが主な訴因として挙げられていました。
70件の容疑には何が含まれていたのか
起訴状に記された容疑の中には、次のような項目が含まれていたとされています。
- 神からの啓示を受けたと称し、偽りの預言を行ったこと
- 女性でありながら男性の服装を着用したこと
- 教会当局の権威に従わず、反抗的な態度を取ったこと
- 悪魔と接触した疑いがあること
裁判の背景:百年戦争と政治的思惑
この裁判は、イングランド側の影響下で組織されたもので、ボーヴェ司教ピエール・コーションが主導しました。当時のジャンヌ・ダルクは、百年戦争においてフランス軍の勝利を導き、オルレアンの包囲を解く立役者となった英雄でした。その存在はイングランド陣営にとって大きな脅威であり、宗教的な罪を着せて彼女の名声を打ち砕くことが、裁判の隠れた目的だったと言われています。
火刑から列聖へ:その後の顛末
1431年5月30日、ジャンヌ・ダルクは異端の罪により、ルーアンの広場で火刑に処されました。当時わずか19歳でした。
しかし歴史は彼女に名誉を取り戻させます。1456年にはローマ教皇庁による再審が行われ、原判決は破棄されて無罪が宣告されました。さらに1920年、カトリック教会によって正式に列聖され、今日では「聖ジャンヌ・ダルク」として世界中の人々に敬愛されています。
70件もの容疑は、政治的動機によって作り上げられた不当な訴えでした。ジャンヌ・ダルクの悲劇的な裁判は、権力と信仰が交錯した中世ヨーロッパの歴史における最も有名な事件の一つとして、今もなお語り継がれています。