王党派(ロイヤリスト)のボストン虐殺に対する反応
アメリカ独立戦争前夜、イギリス王政への忠誠を貫いた「ロイヤリスト」(トーリー派とも呼ばれる)は、1770年に起きたボストン虐殺に対して、概ね懸念と不快感を示しました。彼らは、事件に関わったイギリス兵は自衛行為に出たにすぎず、群衆側の挑発的で威嚇的な行動こそが暴力を招いたと考えていました。中には、急進的な住民が暴力を煽ったのだとして、ボストンの町そのものに責任を問う声さえあったのです。
「不幸な事故」と捉えた穏健派の視点
一部の王党派は、ボストン虐殺を、植民地とイギリス当局の間に長年積み重なってきた緊張関係が生んだ不幸な出来事とみなしました。とはいえ彼らは同時に、植民地側の反応は過剰であり、地域の秩序と安定を維持するための努力を妨げるものだと批判しました。彼らにとってこの事件は、すでにこじれ始めていた植民地と本国政府の関係を、さらに悪化させる要因となったのです。
裁判後の世論の分極化
さらに重要なのは、事件後の裁判の結果です。イギリス兵の多くが無罪放免となったことで、植民地内の世論は一段と分極化しました。愛国者(パトリオット)と王党派の対立は深まりを増し、この亀裂はやがてアメリカ独立革命へと向かう大きな流れの一因となっていきました。