歴史物語

「涙の道」でチェロキー族が持ち運んだもの、そして置き去りにされたもの

涙の道(Trail of Tears)とは何だったのか

1830年代、アメリカ合衆国南東部に暮らしていたチェロキー族は、連邦政府の方針により、先祖代々受け継いできた土地から強制的に立ち退かされました。移住先となったのはミシシッピ川以西の「インディアン準州」、現在のオクラホマ州です。この過酷な強制移住の旅では多くの命が失われたため、後世「涙の道(Trail of Tears)」と呼ばれるようになりました。

携行を許されたわずかな所持品

チェロキー族の人々が旅に持ち出すことを許されたのは、ごく限られた荷物だけでした。自宅や家畜、その他の財産の大半はその場に残さざるを得ず、持って行けたのは主に次のようなものでした。

  • 衣類や毛布
  • 調理器具
  • トウモロコシ粉、豆、干し肉などの食料
  • 馬や牛などの家畜(一部の場合のみ)

奪われた暮らしと財産

しかし、こうした基本的な必需品すら持ち出せなかった人々も少なくありませんでした。長年かけて築き上げてきた家屋、農地、家畜といった生活の基盤は没収されるか、放棄するしかなく、チェロキー族はほぼ無一物に近い状態で未知の土地へ向かわなければなりませんでした。

過酷な旅路と数え切れない犠牲

移住の多くは徒歩による長距離の行軍でした。人々は厳しい寒さ、飢え、そして病気にさらされ、数千人のチェロキー族が目的地にたどり着く前に命を落としたと伝えられています。涙の道は、アメリカ史において最も悲劇的な出来事の一つとして、今日まで記憶され続けています。