「モリー・ピッチャー」の名で知られるメアリー・ルートヴィヒ・ヘイズ(Mary Ludwig Hays)が抱いていた信念――それは、良心の自由(信教の自由)と、国家の一市民としての平等でした。
独立戦争と「連合規約」の時代
メアリーの夫ウィリアム・ヘイズは大陸軍の砲兵として従軍し、夫妻はアメリカ独立戦争の激動の中で暮らしていました。1777年11月15日、第二次大陸会議は人類史上最も重要な文書の一つである「連合規約(Articles of Confederation)」を採択します。13の州すべてによる批准を経て発効したこの規約は、その後およそ9年間にわたり、アメリカ最初の憲法として機能しました。
規約では、各州の立法・行政・司法の権限は「州の内政に関する事項に限られる」と定められていました。しかし注目すべきは、そこに信教の自由についての言葉が一切盛り込まれていなかったという点です。
ワシントンが語った宗教の自由
信教の自由が国家の最高指導者によって公式に言及されたのは、独立宣言から13年後のことです。1789年4月30日、ニューヨークのフェデラル・ホール(旧市庁舎)で執り行われた初代大統領ジョージ・ワシントンの最初の就任演説において、彼は「宗教の自由は私の時代よりも前に確立されていた」という趣旨の言葉を残しました。
その後、1791年に批准された憲法修正第1条によって、国教の樹立の禁止と信教の自由が明文化され、今日につながる宗教的自由的な基盤がようやく築かれたのです。
モリー・ピッチャーが体現したもの
伝説によれば、メアリーは1778年のモンマスの戦いで前線の兵士たちに水を運び、夫が倒れた後には自ら大砲を操作したとされています。彼女の行動は、良心の自由と市民としての平等を信じる一人の庶民の姿であり、後に「モリー・ピッチャー」の名とともに、アメリカ独立の精神を象徴する存在となりました。